国内市場に冷たいと言われ、新車投入も軽自動車くらいと、ニュースの乏しい日産。そんな日産にあって、国内市場ではその存在感が極めて薄くなっているのが「スカイライン」と「エルグランド」だ。
2台ともかつては栄華を極め、多くのファンがいるモデルだ。しかし盛者必衰の理か、いまやライバルに大きく差をつけられる衰退ぶり。この2台は、どこで運命が分かれてしまったのか? その分岐点となったポイントを、岡本幸一郎氏が考察する。
文/岡本幸一郎
写真/NISSAN
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■「ケンメリ」の栄光は今いずこ!? 日本で行き場を失ったスカイライン
「スカイライン」と「エルグランド」。かつて輝いていた日産の2台の名車が、いまではお寂しい状況となっているのは周知のとおりだ。
マイナーチェンジで少し息を吹き返したスカイラインだが、かつての栄光からするとあまりにほど遠い。レースで名をはせたスカイラインは、名実ともにすごかった。もっとも売れたのは4代目のC110型、通称「ケンメリ」で、4年間で約67万台が売れた。月販に換算すると約1万4000台ということになる。いまや年間でも万単位には遠くおよばないのとは大違いだ。
同じく1950年代に生まれたクラウンが、セダン不遇の時代にあって、けっして安くはない価格帯ながら最新モデルもまずまずのセールスを記録していることを考えると対照的で寂しくなる。とはいえマークXも消滅し、ほかのメーカーを見渡しても売れているといえるセダンなどクラウン以外にはなく、市場の変化が最大の要因といえそうなことは大前提として断っておきたい。
スカイラインのジリ貧ぶりは、V35よりもずっと前のR33あたりから見えていた。それまで悪くても約4年のモデルライフで30万台ほどを販売していたのに、R33は20万台あまりまで落ち込み、続くR34は約3年で6万4623台まで急減した。そこで2001年、日産はR34の販売を予定よりも早く打ち切り、本来はスカイラインでなかったはずのV35を急遽スカイラインとして売り出した。この判断の背景には、スカイラインの行き場がなくなったことが見て取れる。
意気揚々で世に出したR32は高く評価された半面、販売的には伸び悩んだ。とくにセダンが。スカイラインがこれではいけないと、続くR33では大型化により広い室内空間と荷室を確保した。スタイリングも落ち着いたテイストとされた。ところが、今度はスカイラインらしくないと評された。そんなわけでR34は、ダウンサイズとR32を彷彿とさせるデザインにより、あのようにされた。
個人的にもR33はいまいち好きではないが、R32とR34は好きだし、R34が出た時もこうするしかなかったのだろうと開発陣の心中をおもんばかったものだが、それが売れなかったのだから、もうどうしていいのかわからなくなった。だから、あのような形でV35がスカイラインとされたのも仕方がないと思っている。仮にV35とは別のスカイラインを企画したとしても、それが売れたとは到底思えない。
V35も北米ではそこそこ売れたが、日本ではもはや販売台数が話題にならないほど売れなくなった。V35は野暮ったい印象があったが、続くV36は洗練されていたし、スカイラインはこれでいくという日産の決意も感じられて悪くなかったように思う。
そしてV37は、当初はインフィニティバッジがうんぬんと、本質とはまったく別のところでとやかく言われたわけだが、デザイン自体は上々だと思う。いささかとってつけた感のある後期型ではなく前期型もスカイラインと名乗るからには少しでもスカイライン的な要素を入れようと努力したことがうかがえた。
スカイラインがここまで売れなくなったのは、V35以降がスカイラインのまっとうな後継ではないこともあるが、理由としては価格帯が上がったことのほうが大きいように思う。実際にはそれなりに内容の濃いクルマでも スカイラインでひとこえ500万円が普通というのは、割高感があるのは否めず。そうなると、この価格帯なら十分に狙えるドイツ勢などの輸入プレミアムセダンに目が向いていると考えるのが妥当だろう。
もうどのみちスカイラインにかつてのスカイラインのような未来はなかった。だからこれでよいと思う。ひとまずセダンは、どうせ売れないからと日本市場に導入されないクーペのようなことにはなっていないわけだし、スカイラインの名前が消滅するよりは、こうして残されていることを歓迎すべきかと思う。
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