2026年9月23日、米国デトロイトでアメリカ自動車殿堂表彰式典が開催され、トヨタ自動車の豊田章男会長が自動車殿堂入りした。その式典で豊田章男会長が語った「ともに歩もう!」という呼びかけは参加者の心を一つにし、未来に歩む勇気を与えた。
文:ベストカーWeb編集部/写真:三橋仁明 / N-RAK PHOTO AGENCY、ベストカーWeb編集部
【画像ギャラリー】栄えある式典の直前までテストドライブ!? 豊田章男会長がクルマ界のレジェンド入り!! (6枚)画像ギャラリー業界の垣根を超え未来を見据えた「協調」の呼びかけ
米国自動車殿堂入りした豊田章男会長は受賞にあたってスピーチを行った。実は豊田章男会長は式典の直前、北米向けオフロード4WDの開発車両をテストドライブ中に横転している。そのことに触れ、冒頭公切り出した。
「さて、話を始める前に、皆さんにちょっとした秘密を打ち明けたいと思います。 2日前、私はオフロード車を運転中にアクシデントに遭いました。ですから、少し傷だらけに見えるとしたら、それは本当に傷だらけだからです。 でも、ご心配なく。クルマは無事です」
もちろん、会場は大きな笑いに包まれた。
マスタードライバーとして限界を超えた走りをし、大事には至らなかったとはいえ、傷んだ身体での出席はいかにも豊田章男会長らしい。しかも、そんなハプニングをユーモアに変えてしまう魔法のような語り口は、参加者の心をあっという間につかんだ。その後もリアルとユーモアを絶妙にバランスした話が続く。
そして、豊田章男会長スピーチは核心に入っていく。
「何台のクルマを販売したかは、私にとって一番大切なことではありません。 何より大切なのは、そのクルマが、買ってくださった方々にとってどのような意味を持つかです。 私たちが売っているのは、『幸せ』なのです。 クルマを受け取る時に、うれしくない人がいるでしょうか。 クルマは、心を躍らせ、喜びをもたらす、特別な存在です。
疑いなく、今この部屋にいる私たちは皆、とても幸運です。考えてみてください。私たちは、世界で最も素晴らしく、最も刺激的で、最もやりがいがあり、そして私に言わせれば最も格好いい産業に携わることができるのです。 私たちは、その一員であることを決して当たり前と思ってはいけません。
この部屋に集まった力を考えてみてください。自動車メーカー、サプライヤー、販売店、ディストリビューター、モータースポーツ関係者、ジャーナリスト。 私たちが力を合わせれば、人々の暮らしをより良くする、並外れた力を発揮できます。
そして、優れたスーパーヒーローがそうするように、私は、それぞれの強みを結集し、私たちの力を「善いこと」のために使うべきだと信じています。
自動車業界は、これからの日々、そしてこれからの年月に、多くの不確実性と課題に直面します。しかし同時に、多くの機会もあります。 競争に向ける力を少し減らし、協力に向ける力を少し増やしたらどうでしょう。 私たちが力を合わせ、社会に良い影響をもたらすために何ができるのかに、もう少し目を向けてみませんか。(中略)
共に歩めば、私たちに想像できないことはありません。創り出せないものはありません。そして、乗り越えられないものはありません。 道が私たちをどこへ導こうとも、その旅を一緒に楽しみましょう。ありがとうございました」
会場がほんの一瞬静まり返ったあと、全員がスタンディングオベーションを送った。静かな感動が広がっていった。それは豊田章男会長のブレない信念が言葉に力を与え、人々の心を揺さぶった瞬間だった。
強いリーダーシップでトヨタを変えた17年、その功績とは?
米国自動車殿堂「Automotive Hall of Fame(AHF)」とはどんな存在なのか。1939年に創設され、米国ミシガン州ディアボーンに拠点を置く、自動車産業でも最も歴史ある顕彰制度のひとつだ。対象は経営者だけではなく、技術者、デザイナー、モータースポーツ関係者など幅広く、「自動車産業の発展に決定的な影響を与えた人物」が選ばれる。
これまでの殿堂入りは約320人。選考も専門委員会による審査、ファイナリスト選定、カテゴリーを超えた比較、理事会承認という多段階で行われる。評価されるのは産業への貢献、革新性、リーダーシップ、社会的貢献、倫理性などだ。
歴代の受賞者を見ると、その重みがよくわかる。1967年に最初の殿堂入りを果たしたのは、移動式組立ラインで自動車の大量生産を実現したヘンリー・フォードや、GMの近代的な企業経営を確立したアルフレッド・P・スローン・ジュニア、キャデラックを創業したヘンリー・M・リーランドといった自動車の世界そのものを変えてきた人物だ。そんな歴史上の人物たちに豊田章男氏の名が加わることになった。
AHFが豊田氏について示した評価をひと言で表すなら、「ドライバーファーストの考えのもと、自動車会社のリーダー像を変えた人物」ということになる。
日本の自動車ファンに向けて言い換えれば、「マスタードライバーというクルマの最終的な味付けを担うドライバーを自ら務めながら、自動車産業のリーダーシップを再定義し、トヨタを変革期へ導いたことが評価された」といっていい。
人物にフォーカスするAHFは、豊田氏が社長に就いた2009年以降の、極めて厳しい時代があったことにも注目した。
2009~2010年には大規模リコール問題が発生し、トヨタは信頼の危機に直面した。2010年2月24日、豊田氏は自ら米国下院の公聴会で、経営トップとして全責任は自分にあるとし、品質管理についてのトヨタの基本的な考え方やリコールの原因を正直に、自分の言葉で証言した。
特に「私の名前はすべてのクルマについています。トヨタはお客様の信頼を取り戻すための努力をし続けることを私はお約束します」と話したことは、社長自らがこの問題から逃げずに向き合うことを明確にしたもので、信頼回復に向けての礎になっていった。
AHFは、この時期について「失われた信頼の回復、ガバナンスの強化、企業としての規律の再構築」の時代だったと評価している。










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