日本ではトヨタ、日産、ホンダの“ビッグ3”が販売網も含め乗用車では圧倒的なシェアを占め、残りの5社(マツダ、三菱、スバル、スズキ、ダイハツ)がビッグ3の牙城を崩すことは、今も昔も非常に難しい。
メーカー全体としてはビッグ3の優位は揺るがないが、特定のジャンルやモデルで見ると、3社を脅かすほどヒットを飛ばした車、そして、後にビッグ3が後追いで同様のライバル車を開発する契機になった車は少なからず存在する。そうしたモデルたちの共通点は、ビッグ3の車にない、時代に合った“強力な武器”を持ち合わせていることだった。
文:永田恵一
写真:編集部、MAZDA、MITSUBISHI、SUBARU
マツダの立て直しに貢献した2台のハッチバック
■マツダ 5代目ファミリア(1980-1985年)
ファミリアは現在のアクセラの前身で、カローラやサニーといった二大巨頭に挑戦した当時大衆車と呼ばれたボリュームゾーンに属したモデル。
5代目ファミリアは、VWゴルフの初代モデルに大きな影響を受けていたこともあり、FF化も含めターボ車の追加にも対応できるほど基本がシッカリした車だった。
さらに、前席と後席をつなぎ仮眠などができるシートやイメージリーダーの「XG」グレードでは、サンルーフやリアシート外側のひじ掛けとリクライニング機能を持つラウンジシートを備えるという新鮮さもあり、当時は赤いファミリア「XG」にサーフィンをしないのにルーフにサーフボードを載せて乗る「陸(おか)サーファー」という使い方が大流行した。
そのおかげもあり5代目ファミリアは月間販売台数で何度も1位になる大成功を収め、当時苦しかったマツダの経営立て直しに多大な功績を残した。
■マツダ 初代デミオ(1996-2002年)
バブル期後、マツダの長い低迷期に登場した初代デミオは、車自体はオーソドックスでそれほど褒められた出来ではなかった。
しかし、全高1550mmが上限の機械式駐車場に入る5ドアハッチバックのコンパクトカーという枠の中で、広いキャビンとラゲッジスペース、フルフラットシートを持つ使い勝手の良さと価格の安さで大ヒット。
1998年には10万台以上を売り、年間販売台数3位に入るほどの長期的な成功を収め、マツダにとって救世主的な存在となった。
また、デミオの成功はファンカーゴやフィットのような「広いコンパクトカー」の登場のきっかけにもなった。
ビッグ3に多大な影響を与えた三菱のパイオニア
■三菱 初代&2代目パジェロ(初代:1982-1991年、2代目:1991-1999年)
パジェロは、ランクルや三菱ジープ、ジムニーといった“SUVというよりクロスカントリー4WD”しかなかった時代に、前述の車たちよりは乗用車的なピックアップトラックベースのSUVとして登場。
当初ボディタイプは商用車登録の3ドアのみであったが、のちにステーションワゴン的にも使えるロングボディも追加。
さらに長いモデルサイクルの中でパリダカールラリーでの活躍によるブランドイメージ向上もあり、販売台数は尻上がりに増加した。
モデルサイクル後半には3L、V6エンジンの搭載や革シートの装備により高級車のようにも使えるスーパーエクシードも追加され、こちらも人気となった。
1991年登場の2代目パジェロも初代モデルのコンセプトを踏襲し、発売初年度は平均価格が300万円を超える高額車が月平均5000台以上売れるという大成功を収めた。
このパジェロ人気には、ランドクルーザーに70プラドを追加し対応したトヨタも、パジェロに近い車格のテラノがあった日産も太刀打ちできないほどだった。
当時は“SUV=パジェロ”というほどパジェロのブランドイメージは高く、トヨタディーラーに「パジェロください」と来店するユーザーがいたという冗談のような話があったくらいだった。
■三菱 初代ディアマンテ(1990-1997年)
初代ディアマンテは、V6エンジン搭載のFF(前輪駆動)ラージセダンという、今では何の変哲もない車であった。
しかし、1989年に「(排気量は2L以下でも)3ナンバー車の自動車税は、2Lで5ナンバー車の倍額8万円掛かる」という自動車税制度が廃止。現在同様500cc刻みに課税される制度になり、3ナンバー車が買いやすくなった。
さらに、バブル絶頂期という時代背景もあり、庶民も「ボディとエンジンが大きい楽な車に乗りたい」というニーズも増えていた。
そのドンピシャの時期に「本格的な3ナンバーボディでBMWに似てるけれど立派に見える。自動車税は2Lプラス5000円で済み、価格も約250万円とお買い得」という初代ディアマンテが登場。
同車の登場後、ライバルのマークII三兄弟や日産のセフィーロ&ローレル&スカイライン連合は、当時の現行モデルにマイナーチェンジで2.5Lエンジンを追加。
次期モデルではボディが3ナンバーサイズに移行し、エンジンも2.5Lが中心となり、初代ディアマンテのコンセプトの確かさを裏付けた。
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