「伝説の名車」と呼ばれるクルマがある。時の流れとともに、その真の姿は徐々に曖昧になり、靄(もや)がかかって実像が見えにくくなる。ゆえに伝説は、より伝説と化していく。
そんな伝説の名車の真実と、現在のありようを明らかにしていくのが、この連載の目的だ。ベテラン自動車評論家の清水草一が、往時の体験を振り返りながら、その魅力を語る。
文/清水草一
写真/日産、清水草一
■「901運動」の代表格と言える実力派
第1回で取り上げるのは、初代プリメーラである。地味な実用セダンでありながら、伝説となった初代プリメーラ。このクルマは「P10」の名で、現在もカーマニアから尊崇を受けている。地味なのに伝説になったという逆説が、このクルマをより特別な存在にしている。
P10型プリメーラが発表されたのは、1990年2月のこと。すでに32年近い歳月が流れた。あのクルマに発表当時乗ったことのある者も、次第に少なくなっているだろう。その真実の姿はどうだったのか。
1990年当時の日産は、「901運動」を展開していた。これは「1990年までに技術世界一を目指す」というもので、シャシー、エンジン、サスペンション、ハンドリング、デザイン、品質など、すべての技術分野で世界一を目指し、多数の傑作を誕生させた。P10プリメーラは、地味ながらその代表と言ってもいいクルマである。
まずデザイン。見た瞬間からカタマリ感が高く、機能的だ。全長4400mm、全幅1695mm、そして全高1385mm。サイズに対して、可能な限り室内空間を広く取ろうとしたパッケージングである。
当時の日本は、キラキラしたルックス優先のハイソカーがブームだったが、P10型プリメーラはその真逆。最上級グレードの2.0Teにリアウングが装着されていたのも、「アウトバーンでは必要なんだろうな」という雰囲気で、クルマ好きをゾクゾクさせた。ルックス優先のアイドルたち(ハイソカー)の対極に位置する、実力派アーチストだったのである。
■デザイナー本人による評価はどうだったか?
P10型プリメーラのチーフデザイナーを務めたのは、故・前澤義雄氏だ。前澤さんはこのクルマを、どういう思いでデザイン統括したのか。私は03年のベストカー本誌連載『デザイン水かけ論』にて、前澤氏とこのような会話を交わしている。
清水 前澤さんにお尋ねしますが、僕は前澤さんがチーフデザイナーとして携わった作品では、初代プリメーラ、P10がナンバーワンだと思うんですよ。あのデザインについて聞かせてください。
前澤 僕としては、あれはナンバーワンではない。
清水 まあいいじゃないですか。
前澤 あれは、スタイルで特徴を出そうという要素が非常に少ないクルマだった。
清水 そうなんですか!?
前澤 なにしろあれは、欧州市場第一のモデルで、それが大前提だった。つまりまず空力、そして冷熱。
清水 冷熱って?
前澤 エンジン、ミッション、ブレーキなど、すべての冷却だ。そして居住性。なおかつコンパクト化。ローノーズ・ハイデッキ、ビッグキャビンでコンパクトサイズ。ディメンションがガッチガチだった。
清水 デザインの自由度が低かったんだ。
前澤 さらにはだ、空力のよさが目に見えるように、もっとフラッシュサーフィス化しろと言われたり、すったもんだした。
清水 でも、できあがった商品はすごぉく良かったじゃないですか。
前澤 まさかあれが日本でも売れるとは、僕を含め、誰も思っていなかった。
清水 あのクルマには、本当に機能美を感じましたよ。機能美が形として見えてましたよ。だから日本でも売れたんじゃないかな。
前澤 前にも言ったが、クルマのデザインには、機能美の極致というものはあり得ない。そこまで機能を要求される乗り物ではないからだ。これが飛行機や潜水艦だと、流体力学がほとんどすべてを支配するから、デザインは機能のみになるが、クルマは違う。だから、厳密な意味での機能美というものはない。
清水 でも、機能を優先したことはたしかでしょう。
前澤 機能が主、デザインが従であることは間違いない。
清水 P10プリメーラは自分で採点して何点ですか。
前澤 ……77点。
清水 えーっ! 低すぎる。僕は98点くらいだな。
前澤 僕としては、パルサーの5ドアの方がずっと点数は高い。
清水 ああ、あれも前澤さんでしたよね。あれは何点ですか。
前澤 82点。
これを読んだだけで、P10型プリメーラが伝説であるゆえんが、ほぼ理解できるのではないだろうか。P10型プリメーラは徹底的に欧州車的なクルマであり、それが国内市場にも衝撃をもたらしたのだ。
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