トヨタとスバルといえば最近は電気自動車の協業が話題だが、クルマ好きとしてはGR86とBRZのコラボに触れないワケにはいかないだろう。やみくもに速いだけのスポーツカーではなく、乗って楽しい、運転が上手くなるクルマを目指している。
目指すは21世紀のAE86だったのだが、実は開発の陰には血と汗の結晶ともいうべき2社の協業体制があった。今回は2代目となる86&BRZの両車を一気乗りしてわかったコンセプト、そしてこの協業の今後に迫ります。
文/鈴木直也、写真/池之平昌信
■意外!? 実はトヨタが主体で動き出したプロジェクト
トヨタとスバルの共同開発プロジェクトから生まれたクルマが86とBRZ。クルマ好きなら誰でも知っている事実だ。
ところが、では「どちらがイニシアチブをとって造ったの?」と問うと、「エンジンは水平対向だし、生産はスバルの工場だし、やっぱスバルでしょ?」と思ってる人が意外に多い。
もちろん、クルマの走りはプラットフォームやパワートレーンに大きく影響を受けるから、86/BRZにスバルのテイストが色濃く反映しているのは事実。でも、このプロジェクトは「言い出しっぺ」がトヨタだったというコトを忘れちゃいけない。
キッカケは、2002年に80スープラが生産終了となって、トヨタからスポーツカーが消滅したこと。それを憂いた豊田章男副社長(当時)の発案から、FRスポーツのコンセプトスタディが始まっている。
トヨタがスバル(当時は富士重工)株式の20%を取得する資本提携を行ったのは2005年5月だが、小型FRスポーツを復活させる活動はそれ以前から動き始めていたのだ。
だから、86/BRZに関してはデザインも走りの味付けもトヨタ側が主で、自社ブランド用にBRZという派生モデルを造るスバルが従という認識が正しい。つまり「はじめに86ありき」なのである。
トヨタにとっての86は、そのネーミングのとおりAE86へのオマージュだ。
頭文字Dによって伝説の名車みたいな扱いになっているが、もともとのAE86は若者が気軽に楽しめる安価なFRスポーツだった。
AE86のシャシー性能はデビュー時点ですでに時代遅れだったが、低い次元でリアが滑り出すおかげでコントロール性が抜群。マンガでは「下り最速」に描かれているが、事実は最速というより最楽。早くはないが楽しいクルマだったのだ。
初代86のCEだった多田哲哉さんは、そんなAE86のテイストを現代に蘇らせるために工夫を凝らした。
標準タイヤにプリウスと同じエコタイヤ(ミシュラン・プライマシー)を履かせたのもそのためだし、モータースポーツベース車「RC」をほぼ200万円で用意したのも同じ理由。手軽に、楽しくを、強く意識していたように思う。
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