常に時代の最先端に立つ技術で競われるモータースポーツの世界。その世界において高い評価を得たレーシングカーデザイナーは、ロードカーの開発においても有能なのか?
高名なレーシングカーデザイナーが手掛けた市販車を紹介していく本シリーズの第4回は、ル・マンウィナーにして名デザイナーのキャロル・シェルビーが生み出したマシンを紹介していこう。
文/長谷川 敦、写真/Newspress UK、Favcars.com
【画像ギャラリー】キャロル・シェルビーが手掛けた傑作を見る!(12枚)画像ギャラリーレースを断念してマシン開発者へと転身
1923年、アメリカのテキサスに生まれたキャロル・シェルビーは、1950年代にレース界へとデビューした。当初は実家の養鶏業と掛け持ちのレース生活だったが、みるみるうちに頭角を現して1958年にはF1グランプリにデビューする。F1ではもうひとつの結果に終わったものの、1959年のル・マン24時間レースではアストンマーチンをドライブして見事優勝を飾っている。
順調に思えたシェルビーのレーサー生活だったが、幼い頃から抱えていた持病の心臓病が悪化してしまい、負担の大きいレースには耐えられないと判断して1960年代初頭には自身でのレース活動を終了。以降はシェルビー・アメリカンを設立して後進の育成とマシン開発に専念することになる。
英米連合の傑作は現代でも続く永遠の人気車「シェルビー コブラ」
シェルビー・アメリカンを興して間もなく、シェルビーは1台のハイパフォーマンスカーを開発する。イギリスの自動車会社であるACカーズが開発した車体に、フォード製V8エンジンを搭載したACコブラだ。
ACカーズは1900年代初期に創業された自動車会社で、1950年代には他メーカーからエンジンの供給を受けるかたちで自社モデルの製造を行っていた。
しかし、60年代に入ると同社にエンジンを供給するメーカーがなくなり窮地に陥ってしまう。この時、ACカーズの技術力に目をつけていたシェルビーがフォード製V8エンジンの採用を持ちかけ、すでに存在してたACエースをベースにフォードV8をドッキングしたマシンを開発する。これが後にACコブラと呼ばれるマシンの原型となった。
ACカーズでは、エンジンの変更にあたってエースのボディを拡大すると同時に駆動系やブレーキを強化するなど、アメリカンV8のパワーに耐えられるようモディファイを施した。特にボディの拡大によってオーバーフェンダー化したフロント部の迫力は増し、これがコブラのイメージを決定づけた。
ちなみにベースモデルのACエースを設計したのもレースカーデザイナーのジョン・トジェイロであり、ACエース自体にもレースを想定したデザインが盛り込まれていた。
1962年に発売されたACコブラMkⅠは、すぐにレースにも投入されて好成績をあげ、ロードカーも好調な売れ行きを見せた。マシンデザイナーとしてのシェルビーの名声も、このコブラの成功によって確固たるものになっていった。
MkⅠからスタートしたコブラは進化を続け、1965年にはフォードの7リッターV8エンジンを搭載した427S/C(MkⅢ)が登場する。427とはインチ法で表した7リッターの排気量(427立方インチ)を意味し、S/Cはセミコンペティションの略。これは競技(コンペティション)用モデルをデチューンしたモデルであることが由来だ。
コブラの販売で息を吹き返したかに思えたACカーズだったが、やがてまた経営状態が悪化。その後紆余曲折があって「コブラ」の商標権はシェルビーのものとなる。このため以降はシェルビー コブラの名称が用いられるようになった。
いったんは経営破綻したACカーズだが、経営陣の刷新などによって復活を遂げ、現在ではコブラのボディを使用しつつパワーユニットを電動化したEVモデルなどを生産している。
絶大なコブラ人気は今でも健在であり、アメリカのスーパーフォーマンス社がキャロル・シェルビーからライセンスを得てリプロダクションモデルを生産している。正式なライセンスモデルだけに、新規生産とはいえ正真正銘のシェルビー コブラであることは間違いない。伝説の名車が新車で購入できることがコブラの人気を証明している。
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