1989年~2002年まで販売された第2世代と呼ばれるスカイラインGT-Rが幕を閉じて20年が経過したが、今でも高い人気を誇る第2世代スカイラインGT-R。
これまで第2世代スカイラインGT-Rの生みの親とも言える2人の開発担当者にインタビューを行い、当時の開発にまつわる話を聞いてきた。
最終回の第3回はR33スカイライン/スカイラインGT-Rに続いてR34型の開発担当を行った渡邉衡三さんに再度登場してもらった。
文/萩原文博、写真/日産自動車、萩原文博
【画像ギャラリー】第2世代スカイラインGT-R。R34型スカイラインGT-Rを画像で紹介(7枚)画像ギャラリーシャシーを一新したかったが、会社の経営が厳しくて断念
R33スカイラインの開発が終わってお役御免になるなら、仕方ないなと思っていたらそうならなかった。もう年だから良いよと肩を叩かれましたけど。R34スカイラインをやる前に色々やりたかったことはあったのだという。
やはりスカイラインは日本初の技術を投入するクルマ。そうなるとやっぱり直6の古いフロアはもう限界と考えていた。ちょうどそのころ、V35スカイラインのプロトタイプができていた。どうせやるのであれば、V6エンジンを搭載して新プラットフォームで車体剛性をグンとアップしたそういうスカイラインでGT-Rをやりたかったと話す。
直6がスカイラインの伝統だと言われているのはわかっていたが、V6でやるしかない。と考えていたし、やれるのならば、ちょうどVQエンジンもできていたので。それでやりたいなと思っていたというのだ。
実現できなかった理由の一つはVQエンジン。生産ラインが1つしかなく、その頃は一杯一杯だった。それにスカイラインの5000台が載るともう1ライン引かなければならない。エンジンの製造ラインを引くと数百億のお金が掛かって、それをスカイラインで負担してくれといわれたので、それは実現することは叶わなかったのだ。
もう一つは当時、会社の経営状況が厳しい中で、現在のVRエンジンのようなハイパワーエンジンがいつ開発できるかわからない。投資ができないという状況を考えると諦めなければならない。だったら、現在のフロアで卒業作品にしようと考えた。それがR34に対しての下した一番大きな判断だった。
レバタラではないが、もう1年早く水野和敏さんが開発しているフロントミッドのフロアができていれば、もうちょっとあがきようがあったかもしれない。それともう一つやりたかったのは、2ペダル。2ペダルでやりたくてもRB26に対応するATはあのフロアには入らない。
あのフロアに乗るのはトロイダルCVT。それで試作車を作って当時フェラーリが7段変速だったのかな、フェラーリは7速ならば、こちらは8速。パドルもあったし、フロアもあったしこれはモノにしたいなと思ったけれども研究所が作ったモノをいきなり市販化できるのかというとそうではないのだ。
基礎設計から厳しい関門があって、自分たちで作ったモノではないモノは徹底的に調べると言うことだった。もっとやばかったのはGT-Rならではの宿命。GT-Rのオーナーのうち約90%の人は何らかのチューンをしていて、どういう馬力で走っているかわからない。
そんなクルマにトロイダルCVTを付けたらどうなるのだということになった。個人的にはGT-Rとしてはインパクトがあると思ったけれども、お客様にいじらないでくださいと言ったら、誰も買わないだろうなと思ったのも事実だったそうだ。
凄く悔しかったけれどもそういうクルマにスカイラインGT-Rはなってしまった。グループAの当時600~650psで走っていた、メーカーはそれを保証してしまっているようなものだから1000psまでパワーアップするとか、そういうクルマだからしょうがない。
だから3代目のR34GT-Rで何をやるのかというとエンジンとトランスミッションだった。やはりトレンドで6速は欲しかった。しかし社内にはないので、ゲドラグから購入することになったのだ。
また基本設計から確認しなければならない。と言われたが、トヨタが購入してスープラが載せているのだから何か問題あるのか。トヨタの品質基準で問題ないのだから大丈夫なのだからといってゲドラグの6速MTを買ってもらったという。
あと村山工場で、ホイールベース2種類スカイラインをローレルと全く同じにするか、4ドアはローレルと同じにして、2ドアは短くするか。4ドア、2ドア短くするのか。どうするのかということになった。
しかし企画段階ではもう、セダンに逆風は吹いていた。あのとき水野和敏さんと色々と話をしていて、4ドアクーペとかね、4ドアハッチバック、5ドアハッチバックとかに4ドアセダンを変えようと話していたけれど、当時は時期尚早かなと。
最初あの頃はフェラーリみたいな二股のサイドミラーにしようかなと思っていた。しかし風切り音がうるさいとか色々と言っても全部潰されてしまった。でもあのやれたのは、今これは先鞭を切ったなといえるのはマルチディスプレイ。
32、33のユーザーをずっと拝見していてAピラーに追加メーターを装着していてそれは購入されたメーターだから構わない。それはお客様の車ですから。前にお話したとおり、安全やってきた人間にとって、突起物が車内にあるのは危険だし、いやなもの。
またグローブボックスの中にメーターを追加する。それも良いのですけれどならば、電子部門に、こういったことはできないと聞いたら出来ますといわれた。ナビをココに付ければ、メーターの変わりにできるのかと聞いたら出来ますよと言われたそうだ。
パテントとったら自分の名前も入れておけば良かった。と今も思っているそうだ。それで色々な表示。出てくるのはエンジン関係のものが続々とでてくるわけ。でも冷静な人間は別のクルマのデジタルデータを見て、オレは何ミニHGと表示が違うじゃないかとそこまで心配していたと言う。
当時のスカイライングループは変わり者の集団といわれていたという。それは朝からクルマの話をしているから。自動車メーカーが朝から自動車の話をしなかったら何の話をするのだと言ってやったと話す。
だから、そういう意味でいくと、エンジンはさらに手を加えなくなくてはいけない。6速MTを手に入れた。コントロールスリップデフはもう一段ヨーレイトフィードバックを採用したとか、それでデジタルも入れた。そしてもう一つやりたかったコノリーの本革もちょっとだけオプションで採用した。コノリーの本革なんてできないと言われて断られたと言う。
そのときコノリーがNTCに来ていたので、社長にうちのクルマできないかと聞いたら、シート1脚送れといわれたので送ってみた。半年くらい経ったら送って来た。
あんな立体的なのは国内メーカーできないと言っていたのに、コノリーはできた。それで国内はニスモで売ったし、英国ではコノリーで販売しました。
そうしたら、後になってMスペックくらいから国内メーカーでもできますということになった。前はできないといっていたのに、どうしてできるようになったのかと思ったそうだ。うーん、でもやっぱり革の柔らかさ、なめしかたはやっぱりコノリーのほうがよかった。
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