1989年といえば、今から33年前。1989年1月7日に昭和天皇が崩御され、翌8日に元号が平成となり、文字どおり新しい時代の幕開けでもあった。
株や不動産は爆上がりし、バブル紳士が夜の街を闊歩、フェラーリをはじめクルマが投機対象となり、新車価格の数倍で取引されたりと、日本中が狂ったようなイケイケ状態になっていた。
その時に生まれた人は33歳、当時の新成人は53歳になる年だ。当たり前のことだが、ずいぶんと時間が経過している。そうかなり昔だ。
しかし、この1989年という年は日本のクルマ史において後世に語り継がれる名車が続々と登場した「ヴィンテージイヤー」であり、クルマ好きの記憶から消そうと思っても消すことができない絶大なインパクトを持ち続けている。
信頼性の高さで世界的な地位を確立した日本車が性能面でも欧州メーカーに本気で挑んだのが1980年代とするなら、その集大成が1989年で、初めて欧州メーカーをビビらせた年と言っていいはずだ。本企画では1989年に登場した日本の名車たちを、その世相とともに回顧してみたい。
※本稿は2022年4月のものです
文/片岡英明、写真/ベストカー編集部 ほか
初出:『ベストカー』2022年5月26日号
■なぜここまで名車が集中したのか?
1980年代の後半、急速に円高基調が強まったから政府は景気刺激策を積極的に推し進めた。
株式や不動産を中心とした資産は一気に高騰し、バブル景気の波が押し寄せている。日本人1人あたりの国民所得も大きな伸びを見せ、アメリカを抜き去った。
自動車業界も急成長を遂げている。
欧米の自動車メーカーの生産は微増にとどまったが、日本の自動車メーカーは数と成長率において欧米のメーカーを圧倒したのだ。
軽自動車を含めた乗用車の生産台数は1000万台に迫り、海外では規制がかけられるほど売れ続けたのである。
上昇気流に乗って販売も好調だったから、新車の開発予算も潤沢に用意された。
だから技術革新がいっきに進み、革新的なメカニズムも次々に花開いている。
時代の先端を行く電子制御技術や新世代のパワーユニットが、1989年にデビューする新型車に採用されるのは当然の成り行きだ。
年号が昭和から平成に変わった1989年はバブル景気の絶頂期だった。
販売好調で勢いがあるから、多くのメーカーが新しい市場の開拓に意欲を燃やしている。
それまでは指を咥えて見ていた高級車マーケットに、トヨタと日産は精緻なV型8気筒DOHCやV型6気筒DOHCターボを積む高級セダンを送り出した。
この年トヨタは北米でレクサスブランドを立ち上げ、LS400を発表した。日本でのネーミングはセルシオだ。
日産もシーマの上に位置するインフィニティQ45を投入した。
両車は高い評価を獲得し、高級車の名門のメルセデスベンツやジャガー、キャデラックなどに強烈な衝撃を与えている。
ソアラが火をつけたハイパフォーマンス・スポーツクーペの分野にも多くの秀作が誕生した。
その筆頭が280psエンジンを搭載したR32型スカイラインGT-RとZ32型フェアレディ300ZXだ。
その下の4気筒スペシャルティカーはセリカとインテグラが相次いでモデルチェンジし、180SXも登場している。
コンパクトカーや軽自動車、そしてSUVとワゴンまでも新しい領域に踏み込み、個性と高性能を競ったヴィンテージイヤー、それが1989年だ。
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