1991年、ル・マン24時間レースで総合優勝したマツダ787Bの前夜に、日本人の技術と誇りをかけてル・マン24時間レースに挑戦したマシンが存在した。その名は、マツダRX-7 254。
ル・マン24時間レースの後、WECや富士1000kmレースなどに参戦した後、しばらく行方不明になっていたが、今回約35年ぶりに発見され、今まさに蘇ろうとしている。
さて、発見されたRX-7 254はどんなマシンだったのか? いかにして再生されていくのか、レポートをお届けしよう。
TEXT/Daich Nakamigawa
PHOTO/Yasuhiko Sato
取材協力/PRO COMPOSITE
初出/ベストカー2019年2月10日号
■13Bロータリーを搭載した83号車
マツダ787Bが1991年のル・マン24時間で総合優勝したのは、ただ運がよかったわけではない。レースという勝負事には常に時運も必要だ。しかし、勝てるだけの速さと信頼耐久性に加え、入念な準備がなければ勝ち負けの土俵にすら立てない。
それはマツダが世界の頂点を目指すため、ル・マン24時間レースに挑み続けた歴史の集大成だった。今回、一連の挑戦の過程で重要な意味を持つような1台に出会った。1982年に参戦したマツダRX-7 254である。
当時、マツダのモータースポーツ部門にしてル・マン24時間レース制覇のために活動していたマツダスピード(旧マツダオート東京)は、1974年に最初のル・マン24時間レースを経験すると、準備期間を経て1979年から再挑戦する。
マシンはサバンナRX-7(SA22C)に13Bを搭載しシルエットフォーミュラ仕様へと改造した252iで、その後、度重なる改良を経て254へと進化した。
当初は惨憺たる戦績だった。予選落ちに始まり、決勝にこぎつけてもマシントラブルでリタイアばかり。ヨーロッパ最高峰の壁を、まざまざと見せつけられる結果となった。しかし、負けても諦めない大和魂が、初めて結果に表れたのが1982年だった。
この年、マツダは2台の254をエントリーさせた。寺田陽次郎/従野孝司/A・モファットが走る82号車に加え、トム・ウォーキンショー・レーシングとのコラボとしてT・ウォーキンショー/P・ラベット/C・ニコルソンが乗る83号車である。
いかにロータリーとはいえ排気量の小さい13B(1308㏄)は非力だった。しかし82号車はミッションや燃料系のトラブルを克服して完走を果たす。83号車は燃料系のトラブルでリタイアしたものの、一時は総合8位を走るという快走をみせた。
ポルシェ956で黄金時代を築き上げつつあったポルシェ勢を筆頭に、百戦錬磨のトップチームたちに比べたら、確かにマシントラブルは多かった。レース運びだって試行錯誤の連続だ。
しかし、壊れても壊れても諦めない。必ず修理して復帰させる。不死鳥のようなマツダ254は、彼の地の人々の心を打った。
その努力が認められ、チームとしてベストメカニック賞を受賞したのである。優勝が非現実的となった瞬間に走ることをやめていく行為は、合理的で洗練された活動かもしれない。
しかし、それとはまるで正反対の、泥臭くて不器用だけど「何が何でも完走してやる」という強い意志の感じられる活動だった。その不屈の精神こそが9年後のル・マン24時間総合優勝を支えたのだと思う。
そして、ヨーロッパのメーカーでさえ諦めていた、ロータリーエンジンの可能性を示唆した。
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