今を遡ること50年前の1973年初夏、秋田県警にパブリカパトカーが導入されるまでの記録が、ある人物のアルバムから発掘!! その記録から、トヨタ パブリカと警察車両の歴史の1ページをお届けする。
※本稿は2023年3月のものです
文/ベストカー編集部、写真/TOYOTA、ベストカー編集部
初出:『ベストカー』2023年4月26日号
■1973年、秋田県警にトヨタ パブリカ導入!
上の写真は、1973年、昭和48年初夏、秋田県警警察本部にトヨタパブリカのパトカーが納車される際のワンシーンだ。県警トップの本部長による訓示が行われ、県内各地にパブリカのパトカーは配備されていった。
実に50年前の「ある日」を色鮮やかに伝える写真は、秋田県のトヨタ系販売会社に勤務していた方のアルバムに、大切に保管されていた。
その人物は、50年前まさにパブリカパトカーの導入に尽力されたキーパーソンともいえる人物で、現在80歳を超え、秋田市でお元気に暮らしている。
当時、秋田県警では地方の村落の駐在所には地域での警察官移動用として2輪車が使用されていた。冬場に雪が積もる秋田県内では、パトロールの利便性を考え、小型パトカーの導入を検討していたのだという。
「国費もの」と呼ばれる、全国一括購入で配備する警察車両に対し、いわゆる「県費もの」と呼ばれる、都道府県警独自の予算で購入、配備するパトカーである。
■軽自動車のミニパトだと雪国では市民の安全を守れない!!
この時期、東京ではスズキフロンテやスバルR-2など軽自動車を使ったミニパトの導入が開始されており、秋田県警もこれに倣って軽自動車のミニパトの導入を検討。しかし雪の多い秋田県内の気候に合っていないということで、排気量1000ccクラスの小型自動車とする方針が決定した。
そこで1972年、昭和47年に地場のトヨタ販売会社が県警にパブリカでの導入を提案し、随意契約でパブリカパトカーの納入が決定したのだという。
「すべてが初めてのことだったので、完成し納入するまでは手探りでした」とその人物は当時を振り返る。
赤色灯やサイレンなどのパトカーならではの装備の装着はもちろんのこと、強化するボディアースがネックで、施工できる業者が県内には見つからず、最終的には東京トヨペットに協力を仰ぎ、神奈川県横浜市綱島にある東京トヨペット綱島工場でパトカー用の架装、改造などを実施することになったのだという。
ちなみに、東京トヨペット綱島工場とは、のちのトヨタテクノクラフト、TRDとなる施設で、当時から特装車の開発や架装などを実施していたのだ。
綱島工場で秋田県警の装備担当部署の担当官立会いの下で仕様や改造の打ち合わせを行い、慎重に製作が進められたのだという。
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