ホンダが2024年5月16日に発表した「2024ビジネスアップデート」。三部敏宏社長は2040年にBEV100%を目指すことを改めて発表したのだが、今後のホンダは果たして大丈夫なのか? その判断に対して国沢光宏氏が持論を展開する!
文:国沢光宏/写真:ホンダ、ベストカーWeb編集部
■ホンダが従来までに直面した危機は3度あった
黎明期を脱したホンダが本格的な自動車メーカーになって以後、会社の存続に関わるような危機はこれまでに3回あった。
1)創業者である本田宗一郎さんが空冷エンジンにこだわった1970年前後
2)1980年代前半に勃発した日米貿易戦争でアメリカへの輸出に制限がかかった時
3)人気が出始めたRVから目を背け、売れないクルマばかり作った1990年前後
ひとつ目から紹介していこう。ご存じのとおり本田宗一郎さんは頑固な空冷支持者だった。根拠と言えば「水冷だって空気で冷やす」というもの。だったらシンプルな空冷でいいだろ、ってことです。
でも明らかな間違いだった。空冷のF1マシンであるRA302は失敗作。空冷の乗用車群もすべて売れず。空冷エンジンを続けていれば初代シビックが誕生することもなくホンダの今はなかったかもしれない。
この流れを変えたのは3代目の社長になる久米是志さんだった。多くの技術者がダメだとわかっていても空冷を続けたのに対し、久米さんはすでにカリスマ的な存在だった本田宗一郎さんと大げんか。出社拒否までしている。久米さん、サムライです。
そんな久米さんを社長にしたホンダという企業もフトコロが深い。久米さんの大暴れがなければ、どうなっていたかわからない。
■1980年代の日米貿易戦争が今の北米市場での隆盛につながった
ふたつ目の貿易戦争の時の舵取りはホンダを大きく成長させるキッカケになった。この時の判断が的確だったからアメリカにおける今のホンダの隆盛に繋がった。主役はアメリカホンダから原宿(ホンダ本社)に的確な指示を出した雨宮高一氏だ。
私は1984年にアメリカ現地でインタビューしたけれど、アメリカに関する情報量の多さと深さ、敬愛ぶりに驚いたことを思いだす。
最後の3つ目は1990年代のRVブームに乗り遅れ、業績を落としたこと。ホンダというメーカー、ガンコに乗用車しか作っておらず絶好調の三菱自動車に身売りするんじゃないかと言われるまで低迷した。
この時にホンダを救ったのは営業畑だった有澤徹さんである。当時の川本信彦社長に直訴し、ホンダを救うことになるクリエイティブムーバーを提案。川本さんは消極的ながらGOサインを出す。
このあたりは本田宗一郎さんの渋々水冷を認めた時と同じイメージでいいと思う。いずれにしろ3人の功績たるや絶大である。ここまで読んで「何を言いたいのか?」となるだろう。
■まさに今現在の判断がこれから10年間のホンダを決める
客観的に見ると、現在の判断が今から10年先のホンダを決めるからだ。困ったことに現在進行形でホンダの舵を握っている三部さんは、人の言うことをまったく聞かない。そして直訴する人もいない。
何が問題か? 説明するまでもなく自動車メーカーにとって喫緊のテーマといえば先進国が約束している2050年のカーボンニュートラルだ。その時点での乗用車といえば基本的に電気自動車しかありえない。
ただ、電気自動車が本格的に普及するタイミングは非常に読みにくい。目先で言えば2026年のアメリカで、12州くらいが「販売台数の35%を電気自動車+PHVにしろ」となっている。
2030年に68%。2035年は100%といった具合。日本車が売れる地域は西海岸と東海岸の前出12州のため、この法規を遵守するのなら三部社長の主張どおり、2030年代に200万台、2040年にエンジンを搭載するクルマ全廃は間違っていない。
ただ足下を見てもわかるとおり、電気自動車の販売が伸び悩む。アメリカ12州もすでに「目標達成は難しい」と言い始めている。伸びる可能性が出てきた。
一方、遠からず電気自動車の時代になることも間違いない。大いに悩ましいのは過渡期のクルマ作りです。エンジン車ベースの電気自動車だと専用プラットフォームの電気自動車に勝てない。
電気自動車の普及が早い時期に始まれば、電気自動車は完全に供給不足になります。かといって早い段階で専用プラットフォームの電気自動車を出したら売れない可能性も。
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