全国にある、目立つ観光スポットの一つがお城。土地勘がない人にもすぐ分かるよう、交通至便なバス停には大抵「○○城前」の名前が付けられているのかと思いきや、意外と少数派らしい。茨城県の水戸城跡はどうだろう?
文・写真:中山修一
(水戸城周辺バス停動向の写真付き記事はバスマガジンWebもしくはベストカーWebをご覧ください)
■顔パスが苦手な偉い人のお城
茨城県の水戸城は、平安時代〜鎌倉時代初期に建てられた館が始まりと言われている。1609年に水戸藩の初代藩主・徳川頼房が入城すると、水戸徳川家の居城になり、1871年の廃城まで続いた。
水戸と言えば、やはり「黄門さま」でおなじみの徳川光圀(水戸光圀)であり、JR水戸駅北口にも銅像(ドラマ仕様)が飾られているほど。実在した徳川光圀は水戸藩の2代目藩主にあたり、もちろん水戸城とも深く関わりを持っていた。
水戸城に天守はなく、1625〜1638年にかけて城内が整備された際に建てられた、3階建の櫓が天守に相当した。この櫓は1764年に火災で全焼した後再建され、1945年の水戸空襲で再び焼失してしまった。
現在は観光スポットとして整備が進み、水戸城の正門だった「大手門」と「二の丸角櫓」が令和に入ってから復元され、水戸城跡のシンボル的建造物になっている。
■バスに乗る必要はなさそうだけど……
ではこの水戸城がどこにあるのか。路線バス等を使わないと行けない、というわけではなく、JR水戸駅駅北口のペデストリアンデッキから二の丸角櫓が見えるほど近い。
ちょっとした丘の上に建っているため、向かう時は少々登り坂になるが、駅起点で徒歩圏内という、アクセスのし易さでは全国でも指折りの城跡だ。
路線バスを使って水戸城へ行く機会はあまり多くないかも知れないが、やはり城付近のバス停名称は依然気になるところ。バス停自体は置かれているようなので、とりあえず見に行ってみた。
■時計回りに歩きませう
まったく下調べせずに行ったのもあり、二の丸角櫓が建っている丘の周囲に敷かれた、バスが通りそうな道を時計回りに1周歩いて、出会したバス停標識を見て名前を確認していく即興スタイルを採った。天気は最高、きょうも日焼けだ。
駅北口のペデストリアンデッキを降りると、早くもバス停が登場。櫓のほぼ真下に位置しており「水戸城前」なんて名前が付いていそうな雰囲気であるが、実際の名称は「三の丸ホテル前」であった。ちなみに降車専用。
そのまま道を進み、数分で次のバス停が。こちらは大手門へ続く階段のそばにある、茨城交通の路線バス停留所で、名称は「大手門下」。その次のバス停標識を見ると「水府橋」と記されていた。
■やっぱりないか?
水府橋から先は、丘の下をグルリと回って常磐線の線路が見えてくるあたりまで、しばらくの間バス停がなかった。
それから、茨城交通と関東鉄道のバス停がそれぞれ1本ずつ置かれた「日赤入口」、「三の丸三丁目」、「三の丸二丁目」を経て、少し丘を登った先にもバス停を見つけ、そこは「三高下」の名称が付けられていた。
丘の上まで歩いて行き、大手門をくぐって橋を渡り、向かいの丘に建っている水戸藩の藩校だった、弘道館の前にも茨城交通のバス停を発見。城跡のメインの入口に最も近い停留所はどうやらここのようだ。気になるそのバス停名は「弘道館」だった。
後日答え合わせをしてみて、現地で取りこぼした停留所をチェックしてみると、他に「日赤病院」と「一高下」が該当した。三の丸のような、お城を連想させる名前こそあれど、「水戸城前」を冠するバス停は一箇所もないわけだ。
これまでに、松前城、松本城、皇居(江戸城)、広島城、今治城、姫路城、名古屋城、和歌山城、館山城、そして水戸城と、何度か「○○城前」リサーチをやってきた。
その中でズバリ城前なバス停があったのは、今治城と和歌山城の2カ所のみと、ヒット率は低いまま。これから逆転のチャンスは訪れるか!?
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