2010年代よりも前に廃線→代替バス化された北海道の鉄道は、JR北海道に移管した後に消えたものを含めて、運営団体が国鉄だった時点で廃止自体は決まっていた路線がほとんどを占める。それに当てはまらないものはごく少数しかなく、その中の1つがJR深名線だ。
文・写真:中山修一
(JR北海道バス深名線とその沿線の写真付き記事はバスマガジンWebもしくはベストカーWebをご覧ください)
■大義名分で生き残った赤字ローカル線
深名線は、函館本線・留萌本線の深川駅から分岐して、道北地方の主要都市の一つである名寄駅までの121.8kmを、幌加内・朱鞠内経由で結ぶ、全線非電化の鉄道線だった。
部分開業は1924年と1937年で、全通が1941年。幌加内地域の輸送を目的にレールが敷かれたのをルーツに持ち、さらに木材輸送や日本最大の人造湖・朱鞠内湖とそのダム建設の資材輸送で賑わったと言われる。
1960年代始め頃が深名線沿線の全盛期だったようだ。とはいえ元々人口の希薄な場所を通るのと、深川〜名寄の都市間移動をするなら函館本線→宗谷本線回りのほうが早く、バイパス的な性質もあまりなかった。
1960年代の時点で営業係数が300(100円稼ぐために300円のコストがかかる)を下回ることのない赤字路線が深名線の実態であり、その後の貨物輸送の終了や沿線人口の減少も要因となり、1985年度には3,641にまで膨れ上がっている。
大赤字を抱えていながら、国鉄の時代に廃止対象から逃れていたのには理由があった。幌加内地域は国内でも有数の豪雪地帯であり、道路が脆弱な関係で、冬季になると鉄道しか輸送手段がなくなる可能性が高かったためだ。
そんな大義名分を持っていたのが幸いして、受難の時代を生き残りJR北海道へと継承された深名線であったが、JR化後に周辺道路の整備が進み、沿線自治体との合意が得られると正式に路線廃止が決まり、1995年9月にその役割を終えた。
■すごく便利になりました
鉄道が廃止になったと同時に深名線はバス転換された。既存の路線バスの活用ではなく新設の路線で、当初からJR北海道のバス部門(後のジェイ・アール北海道バス)が運行を担当。2025年にはデビュー30周年を迎える、今や伝統ある路線だ。
バス転換に際して自治体等から、鉄道時代よりも高い利便性を提供すること、が条件だったのもあり、最晩年に列車が上下合わせて16本だったところを、上下37本で運行開始している。
2002年に上下26本、2020年に25本と、当初に比べれば減便しているものの、2024年5月現在で上下22本のバスが出ており、依然鉄道よりも本数は多い。
また、鉄道時代に深川〜名寄間を直通する列車はなく、途中の朱鞠内駅で分断していた。現在も幌加内バスターミナルで、深川〜幌加内/幌加内〜名寄間に運行系統が分かれていて、当時の名残を感じる。
幌加内〜名寄間は1日上下4本ずつと、少ないながらも鉄道時代より本数が確保されている。深川〜名寄間を1日で乗り通す場合、列車はダイヤの都合で接続が冷酷非情だったのに対して、現在のバスは接続対応便を選べばキレイに繋がる。
ちなみに列車/バスともに“分断”されているとは言え、あくまで書面上のもので、接続対応便の車両自体は同じものが通しで運転される。