都営バスでもアクセス可能
近くを南北に走る清澄通りがあるが、吉良邸跡には都営バスでも若干距離はあるが、アクセスは可能だ。門33系統の緑一丁目で下車すれば最寄りだ。緑一丁目は京葉道路上にもあるが交差点より東側にあるので、どちらでも構わないが少し歩く。
注意が必要なのは、緑一丁目から西に向かう京葉道路上にも都営バスの停留所があり、こちらは両国駅から出てくる一方方面のみの停留所だ。
赤穂浪士が泉岳寺の前に行った回向院
両国駅の近くに回向院(えこういん)という寺院がある。浄土宗の寺院で明暦3年に建てられた。歴史の授業でも学ぶ明暦の大火があった年で、将軍家綱が犠牲者を手厚く葬るようにとの意向で、当地で大法要を行ったことが契機で、のちにお堂が建てられ現在に至る。
忠臣蔵ではカットされることもあるが、赤穂浪士は討ち入りの後に追手が来るのを待ち構えるために回向院に立ち寄っている。しかし開門されず、また上杉(吉良の実子)の追手も来なかったので、ここから泉岳寺に向けて出発する。
回向院では江戸時代後期に勧進相撲が行われていて、明治末期まで回向院相撲として親しまれていた。力塚という歴代の相撲年寄の慰霊碑もあり、相撲との関わりが深いことがわかる。
他の見どころは、将軍家綱の愛馬が死んだことにより、当院に葬った馬頭観音や、鼠小僧次郎吉の墓もあり、お墓を削って持ち帰るとご利益があるという。現在では本当に墓を削られては困るので、手前のお前立ちを削って持ち帰ることができるので、訪れる人は多い。
まだある興味深い地域
バス停名でも紹介した勝海舟生誕之地や、芥川龍之介の文学碑、相撲部屋や相撲にまつわるものなど、紹介しきれないスポットは多い。そのほとんどは江戸時代以降のものだが、歴史の舞台を肌で感じることができるのは興味深い。
忠臣蔵ファンなら吉良邸跡から泉岳寺まで行ってみるのも一興だろうが、残念ながら直接行けるバスの便はないので、都営浅草線を使うとおおむね赤穂浪士と同様のルートで便利だ。何かと忙しい師走だが、乗りバスのチョイ旅はいかがだろうか。
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