一時は3000人の従業員を抱えた犬塚製作所も、時代の波に抗えず、「特装車のデパート」からやがて専門メーカーの道を探ることになる。
その背景には、俗に「特装御三家」と呼ばれる量産型特装車メーカーの存在があった。犬塚製作所は、量産ではなく「開発物」主体のメーカーである。これからの時代、量産型メーカーには太刀打ちできないと考えたのだ。
犬塚製作所が選んだ道は、1964年の東京オリンピックを機に発展が期待できる航空事業であった。以後、犬塚製作所は空港サービス車両に特化していくことになる。
全3回の「幻の特装車アルバム」第3回は、高度経済成長期から今日までの犬塚製作所の軌跡を追う。
文/トラックマガジン「フルロード」編集部 写真・協力/株式会社犬塚製作所
*2013年5月発売トラックマガジン「フルロード」第9号より
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