■あまりにも尖りすぎ!? 短命も現在まで愛されるのも「マツダ」らしさゆえ?
オートザムAZ-1が、不人気ゆえに短命で終わってしまった理由。それは「基本的にはすべてバブルのせい」と言うことができます。
どう考えても数が出ることはあり得ない、「身長180cm以上の人間は運転ポジションを取るのにも苦労する」「リクライニングしない運転席シート」「助手席はスライドすらしない」「コーナリングはすごいが直進性は……」という軽の2人乗りミッドシップ車を「開発し、市販する」と決めてしまったのも、そもそもはバブルのせいでしょう。
まあそういった車でも、一部の好事家には少数が地味に売れ続ける場合はあります。
しかしAZ-1が発売された1992年10月はバブル崩壊の真っ只中。「酔狂」に、手元の貴重なお金を差し出せる好事家は少なかったのです。
要するに「タイミングが悪かった」ということで、それはそれで真実だと思うのですが、もうひとつ思うことがあります。
もしもバブル崩壊がなく、あのまま好景気が延々続いていたとしたら……オートザムAZ-1は生産終了にならなかったのでしょうか?
こればっかりは「歴史のif」であるため正確なところはわかりませんし、答えもありません。しかし筆者は「まあやっぱり生産終了でおしまいだったんだろうな」とは思っています。
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オートザム(マツダ)AZ-1は、そのすべてがあまりにも極端すぎました。
コーナリングのフィールにすべてを賭けるため、前述のとおりスライドすらしない助手席を採用したり、トランクも設置しないなどという「快適性の完全なる無視」をされると、やはり付いていける人間の数は限られるものです。
AZ-1の本質にあったのは「走り(コーナリング)というものに対する信仰」だったと言えるでしょう。
そしてその信仰と教義は実際のビジネス=損益を前に敗れ去ったわけですが、マツダのその信仰体質(?)は、今なお濃厚に残っているようにも思えます。
お茶の間の素人には伝わりにくい「走りの質感」や「デザインの上質さ」を徹底的すぎるほど徹底的に追求している現在のマツダにも、どこか「AZ-1っぽさ」はあるように思えるのです。
しかしそれは、マツダという自動車メーカーの「良いところ」なのでしょう。すべてのメーカーが普通に万人受けを志向したところで意味がないですし、ぜんぜん面白くないですからね!
■オートザムAZ-1 主要諸元
・全長×全幅×全高:3295mm×1395mm×1150mm
・ホイールベース:2235mm
・車重:720kg
・エンジン:直列3気筒DOHCターボ、657cc
・最高出力:64ps/6500rpm
・最大トルク:8.7kgm/4000rpm
・燃費:18.4km/L(10・15モード)
・価格:149万8000円(1992年式AZ-1)
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