毎年、さまざまな新車が華々しくデビューを飾るその影で、ひっそりと姿を消す車もある。
時代の先を行き過ぎた車、当初は好調だったものの市場の変化でユーザーの支持を失った車など、消えゆく車の事情はさまざま。
しかし、こうした生産終了車の果敢なチャレンジのうえに、現在の成功したモデルの数々があるといっても過言ではありません。
訳あって生産終了したモデルの数々を振り返る本企画、今回はマツダ AZ-1(1992-1995)をご紹介します。
●【画像ギャラリー】 鮮烈のガルウィング!! ギャラリーでマツダ AZ-1の姿をチェック!!
文:伊達軍曹/写真:MAZDA
■マツダ5チャンネル体制の最中で誕生した軽2シータースポーツ
「まるでスーパーカー消しゴムのようだ」などと揶揄されたものの、実はかなりマジメに作られていた超絶ハンドリング軽ミッドシップスポーツ。それがマツダ(オートザム)AZ-1です。
バブル景気を背景に、今となっては黒歴史な「5チャネル戦略」などでイケイケだった1980年代後半のマツダは、1975年からやめていた軽自動車の再生産を計画します。
その結果生まれたのが、スズキからOEM供給された「スクラム」「キャロル」でしたが、開発現場は「我が社オリジナルの軽スポーツも作りたい!」と盛り上がりました。
現在の世の中では、仮に現場がそう言い出しても簡単にGOサインは出ないと思いますが、当時はバブルまっさかり。
「よっしゃ、わかった!」とマツダの上層部が言ったかどうかは知りませんが、オリジナル軽スポーツの開発計画にはGOサインが出されました。
そして1989年の第28回 東京モーターショーで、コンセプトモデル「AZ550 SPORTS」が発表されたのです。
AZ550 SPORTSにはガルウイング式ドアを採用した「Aタイプ」のほかに「Bタイプ」と「Cタイプ」もあったのですが、来場者からもっとも好評だった「ガルウイングのAタイプ」が市販版のベースになることが決定。
その設計統括に任命されたのは、名車「初代ロードスター」の主査を務めた平井敏彦さんです。
細部においてはコンセプトモデルからさまざまな修正を受けた市販バージョンですが、基本的なフォルム等は「ほぼコンセプトカーのまま」と言える形で1992年10月に発売されたのが、ここで紹介している「オートザムAZ-1」です。
レイアウト的には「ミッドシップ2シーター」という、軽自動車にあるまじきもの(?)で、外板には鉄ではなく成形自由度の高いFRP(繊維強化プラスチック)を使用。
2枚のドアは、伝説の名車「メルセデス・ベンツ300SLロードスター」などと同じ正統派のガルウイング。文字どおりカモメの翼のようです。
後輪の車軸よりやや前に搭載されたエンジンは、スズキのアルトワークスから流用したF6A型直列3気筒DOHCインタークーラーターボ。最高出力は自主規制値いっぱいの64psでした。
そのコーナリング特性は、44:56という前後重量配分と、720kgというきわめて軽量な車重、そしてロック・トゥ・ロック2.2回転というやたらクイックなステアリング機構等の結果、「鬼のようにシャープ」と言えるものに。一部の愛好家はその虜となりました。
しかし一般的にはAZ-1はまったく売れず、1995年6月には早くも生産終了となり、同年12月には販売も終了となったのです。
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