長い間SUBARUの看板を背負ってきたレガシィアウトバックが、2025年3月をもってSUBARUのラインアップから卒業。かなり寂しいけれど、偉大な功績を残したことに間違いない。30年間の刻んだ歩みを振り返る!!
文:永田恵一/写真:SUBARU、ベストカーWeb編集部
■日本では最後までレガシィの名を背負う
現在日本向けのスバルのラインナップにおけるフラッグシップは、ラージクロスオーバーステーションワゴンのレガシィアウトバックである。
しかし日本向けレガシィアウトバックは2025年3月31日までの注文受け付け分をもって生産終了が発表され、その際にはすでに注文できない限定車となるが、500台限定の30周年記念車も設定された。
日本におけるレガシィは2003年登場の4代目モデルまではステーションワゴンが目立っていたが、北米をメインマーケットに見据え大型化された2009年登場の5代目モデルからは日本でも存在感を増しはじめた。
そして最終的に日本向けレガシィとして残ったのがアウトバックだったという点にはスバルの先見性を感じ、ここではアウトバックが登場した意外な背景を中心に、アウトバックというクルマを振り返ってみた。
【画像ギャラリー】ガンメタカラーが痺れるぜ!! アウトバックはサーキットでも大活躍!!!!(14枚)画像ギャラリー■どん底から屋台骨に!!
スバルは現在ほどではないにせよ、昭和の時代からスバル全体から見た北米での販売比率が大きいだけに、重要な市場である。
北米では1990年代に入ってジープチェロキーあたりがきっかけとなったSUVブームがはじまり、日本でもSUVの普及は日本車ではパジェロの大ヒット、輸入車でもチェロキーがなかなか売れたことからも感じられた。
しかし、当時のスバルのラインナップにSUVはなく、新型車としてSUVを投入しようにも数年は掛かるという状態だった (その際に開発されたのが1997年登場の初代フォレスターである)。
そんな背景の中、「レガシィツーリングワゴンの最低地上高を上げ、SUV的な内外装を持つモデルなら比較的早く投入できる」というアイデアで、レガシィが2代目モデルだった1994年に北米に投入されたのが、アウトバックのはじまりであった。
日本にもグランドワゴンの名前で1995年に投入されたアウトバックは、北米ではじめ1年は苦戦したという。
しかし北米スバルの努力や口コミなどのおかげか、「乗ると車重の重さや燃費の悪化といったSUVの弱点がなく乗用車的で、悪路もSUV並みに走れて、ラゲッジスペースも広い」と売れ始め、北米ではレガシィどころかスバルの柱に成長。そのポジションは今も同じである。
【画像ギャラリー】ガンメタカラーが痺れるぜ!! アウトバックはサーキットでも大活躍!!!!(14枚)画像ギャラリー 【画像ギャラリー】ガンメタカラーが痺れるぜ!! アウトバックはサーキットでも大活躍!!!!(14枚)画像ギャラリー■スバル車のキャラを拡大させるきっかけ
日本でも1998年登場の3代目レガシィではランカスター、4代目レガシィでは世界統一のアウトバックに車名を変えながら徐々に比率が増え、冒頭に書いたように5代目レガシィからはレガシィのキャラクターに一番似合ったモデルとなった。
さらに2014年登場の6代目レガシィではツーリングワゴンがアウトバックに統合され、現在に至る。
またアウトバック以降フォロワー (後追い)として登場が一番早かったのは、1999年にアウディA4に加わったオールロードクアトロだったと思うが、2001年の2代目ステージアのAR-Xや比較的最近ではベンツCクラスとEクラスのオールテレインなど、車種は多くないニッチな市場ながらクロスオーバーステーションワゴンというジャンルを確立。
さらに初代インプレッサにあったグラベルEXを経てXVや現在のクロストレックといったクロスオーバーが登場する広い意味でのきっかけになったことでも、アウトバックの功績は大きかった。
日本でのアウトバック絶版は「選択と集中」などの事情と決して多くはない販売台数を踏まえると理解はできるが、現行アウトバックは雰囲気や乗り味など全体的に大きなボディサイズゆえの大陸的な魅力が強かっただけに残念で、新車が欲しい人は早めのオーダーを勧める。
アウトバックの意志は昨年レヴォーグに加わったクロスオーバーステーションワゴンであるレイバックに受け継がれと思うが、レイバックがバリエーション追加などで成長を見せれば、アウトバックも北米から日本を見て喜んでくれるに違いない。
【画像ギャラリー】ガンメタカラーが痺れるぜ!! アウトバックはサーキットでも大活躍!!!!(14枚)画像ギャラリー
コメント
コメントの使い方