70年間にわたり、国産車の頂点に君臨する絶対王者として支持されてきたトヨタ クラウン。しかし、その地位を守り続けることは、絶え間ない挑戦と苦難の連続だった。クラウンのその後の運命を決定づけたターニングポイントとは!?
※本稿は2025年3月のものです
文:片岡英明/写真:トヨタ、ベストカー編集部 ほか
初出:『ベストカー』2025年4月26日号
長い歴史の中に幾度か訪れた転換点
昭和の時代、トヨタの一般オーナー向け乗用車の王座に君臨したのがクラウンである。
トヨタを代表する老舗ブランドで、観音開きドアを採用した初代が登場したのは、今から70年前の1955年だ。トヨタ独自の技術を満載した日本初の純国産プレステージセダンで、以降も多くのファンを獲得し、愛された。
日本の風土と美意識に根ざしたクラウンの歴史は、挑戦の歴史でもある。その時代の先端を行く日本初、世界初のメカニズムを意欲的に採用し、快適な空間づくりや上質な走りを徹底して追求してきた。
が、順風満帆に70年を生きてきたわけではない。何度も荒波にのまれ、首脳陣が存続を危ぶんだことも少なくない。
最初のターニングポイントは、高度経済成長も終盤の1971年に鮮烈なデビューを飾った4代目S60/70系クラウンだ。先代である3代目、通称「白いクラウン」は、国際商品として通用する高品質と優れた安全性能を謳い大ヒット。一方、4代目は“スピンドルシェイプ”という前衛的なデザインをまとっていた。
エクステリアにはボディと一体のカラードバンパーやフェンダー一体式のウインカーランプを採用し、後席用の三角窓もない。
今見れば日本車のデザイン史に残る傑作だが、その大胆すぎる外観はクラウンを乗り継いできた保守層から酷評、敬遠されてしまった。
2年後にはボディパネルまで変える大がかりなフェイスリフトを行ったが、トヨタはこれに懲り、5代目からはオーソドックスなエクステリアに戻した。
次の転換点は1987年に登場した8代目、S130系クラウンだ。ワイドボディを加え、1989年にはセルシオに先んじてV型8気筒エンジンを積んでいる。新世代の直列6気筒DOHCや電子制御エアサス、エレクトロマルチビジョンなど、今につながるハイテク技術も数多く盛り込んだ。
だが、日産は3ナンバーの堂々とした専用ボディとパワフルなV型6気筒DOHCツインターボを持つシーマを送り出す。シーマは「シーマ現象」と言われる大ヒットを巻き起こし、クラウンを王座から引きずり下ろした。次の9代目クラウンは上級の「マジェスタ」を仲間に加え、シーマを迎撃している。
21世紀になってファンを驚かせたのが、2003年デビューの12代目、S180系クラウンだ。「静から躍動への変革」を掲げ、すべてを一新した「ゼロクラウン」は、プラットフォームからV型6気筒エンジン、パワステまで、すべてを新設計とした。
そして、令和の大改革が最新の16代目クラウン。伝統のセダンのほか、クロスオーバーやスポーツ、エステートを加え、パワーユニットも駆動方式も多彩にラインナップ。また海外にも進出した。何度も苦難を乗り越えてきたクラウンは、トヨタを代表する真のグローバルカーへと成長したのである。



















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