市販されなかった悲劇のスーパーカー
●TVR サーブラウ スピード12
イギリスのTVRは高性能スポーツカーを少量生産するメーカーとして知られ、途中で経営者は変わっているが、1946年の創業から現在まで存続している。
そのTVRが2000年に完成させたスーパーカー・サーブラウ スピード12は、880psを叩き出す7.7リッターV12エンジンを搭載したモンスターだった。
FIA-GT選手権レースへの参戦も視野に入れて開発されたサーブラウ スピード12はV8エンジン搭載車のTVR サーブラウをルーツに持つが、実際のスピード12はもはや別モノといってよいほど変わっていた。
興味深いのは、FIA-GT選手権仕様は規定によって最高出力が700ps以下に抑えられていたのに対し、市販型のスピード12はそれよりはるかにパワフルだったこと。
しかし、ABS(アンチスキッドブレーキ)やトラクションコントロールを装備していない“ネイキッド”なこのモンスターマシンを一般のドライバーに託すのはリスクが大きく、結局当時のTVR代表だったピーター・ウィラーの判断によって販売中止が決定された。
発表段階から予約も多かったというが、安全性を考慮すると、この決断も止むなしといったところか。
●童夢 零
1978年にスイスのジュネーヴで開催されたモーターショーにおいて、無名の日本メーカーが発表した新型車は世界中に驚きを与えた。
その新興メーカーの名は童夢で、第1作となるスポーツカーは零(れい、またはゼロ)の名が与えられていた。
たった数人でスタートしたプロジェクトの童夢が作り上げた零のスタイルが与えたインパクトは抜群で、ショー会場で多数の著名人からオーダーが入ったという。
当時の世界一低いクルマを作るというコンセプトでデザインされた零のシルエットはクサビ形で、上部に開くシザーズスタイルのドアや、エンジンのミドシップ搭載など、その構成はまさにスーパーカーそのもの。
スタイルだけでなく、機構面での魅力もあった零が発売されればヒットモデルになったのは間違いないのだが、国内販売用の型式取得に難航し、最終的に市販を断念している。
市販車が登場することはなかった童夢 零だが、プラモデルやRC、ミニカーは大ヒットし、その利益を元に、童夢は市販車ではなくレーシングカーコンストラクターへの道を進むことになった。
知名度のなさに泣いたアメリカンスーパーカー
●ファルコン F7
アメリカ・ミシガン州のファルコンモータースポーツが、ヨーロッパ製のモデルに対抗するために開発したアメリカンスーパーカーがF7。
F7の開発がスタートしたのが2009年だが、ユニークなのは、製作のすべてを手作業で進めるため、年20台程度の生産計画だったこと。
“アメ車”の象徴ともいうべきV8エンジンをミドシップに搭載するF7の外観は正統派のスーパーカーといったところで、カーボンファイバーやアルミをぜいたくに使用した車体は軽量に仕上げられる。
620psを発生する7リッターV8エンジンはGM(ゼネラルモーターズ)製を採用するなど、信頼性も確保されていたが、いかんせんメーカーの規模が小さく、さらに少量生産ということもあってF7の存在は知る人ぞ知るレベルにとどまってしまった。
結局F7は7台が製造された時点で打ち切りになり、その後の展開も行われていない。
車名がF7で、生産台数も7というのは皮肉な符合か?
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