1998年に登場したトヨタのFRスポーツセダン「アルテッツァ」。コンパクトなボディに後輪駆動(FR)や高性能エンジンを詰め込み、若い世代を中心に熱い支持を集めたモデルだったが、当時トヨタには、もうひとつ似た役割を担うFRセダン「マークII」も存在していた。
もちろんボディサイズやデザインなどは異なるものの、どちらもスポーティなFRセダンであり、重なる部分も少なくなかった両モデル。なぜ似たようなモデルが同時にラインアップされていたのか。これには、国内市場と海外市場を同時に満たそうとするトヨタの「挑戦」が存在した。
文:立花義人、エムスリープロダクション/写真:TOYOTA、ベストカー編集部
【画像ギャラリー】個性的な小型FRスポーツだった トヨタ「アルテッツァ」と「アルテッツァ ジータ」(12枚)画像ギャラリー「走りを楽しむためのFR」だったアルテッツァ
トヨタ「アルテッツァ」は1998年に登場したモデルだ。開発の狙いは、BMW 3シリーズをはじめとする欧州のスポーツセダンに対抗すること。日本市場だけでなく、グローバル市場を見据えた戦略的モデルであり、のちに「レクサスIS」として海外展開もされた。
ボディサイズは全長4400mm、全幅1725mmとコンパクトで、5ナンバー枠に近い設計(実際には3ナンバー登録)。シャシーには新開発のFRプラットフォームを採用し、欧州車のように全長に対して長めのホイールベース(2670mm)とするなど、高速走行時の安定性を重視した設計となっていた。サスペンションも前ダブルウィッシュボーン、後マルチリンクという本格的な構成で、走りの質感を重視し、ハンドリング性能やドライバーとの一体感を訴求する仕立てであった。
搭載したエンジンは2.0リッター直列4気筒の3S-GE(最高出力210ps/MT仕様)、2.0リッター直列6気筒の1G-FE、さらに3.0リッター直6の2JZ-GEを積むAS300まで多彩に展開。とくに3S-GEは6速MTと組み合わされ、ライトウェイトFRセダンとしての魅力を際立たせていた。
このようにアルテッツァは、欧州車的なフィーリングを求める若い世代やスポーツ志向のドライバーに強く訴求し、「走りを楽しむためのFR」だった。
国産高級セダンの伝統を体現し続けた「マークII」
ただ、トヨタにはもうひとつ似たようなモデルが存在した。1968年の初代誕生以来、日本の中堅~上級セダン市場を支え続けた伝統のモデル「マークII」だ。1990年代当時は8代目90系、9代目100系、そしてマークIIとして最終型となる10代目110系へと進化を遂げていた。
全長4.7mを超える堂々としたボディに、直列6気筒エンジンを搭載したモデルを主力とし、快適性と上質感を兼ね備えた「国産高級セダン」として確固たる地位を築いていたマークII。サスペンションは前ダブルウィッシュボーン、後マルチリンクを採用することで、こちらも乗り心地と安定性を高次元で両立しており、広い室内空間は、国内のビジネスユースからファミリーユース、さらには上級志向の個人ユーザーまで幅広い層に受け入れられた。
当時のマークIIといえば、スポーティグレードの「ツアラーV」は特筆すべき存在だった。搭載された1JZ-GTE型2.5L直6ターボは280psを発揮し、FRレイアウトと相まって高い走行性能を誇った。この仕様はドリフトユーザーを中心に絶大な人気を集め、マークIIを単なる高級セダンにとどまらない「走りのプラットフォーム」として印象づけた。















コメント
コメントの使い方アルテッツァは出た当時は「がっかり」感の方が強かったと記憶しています。欲しかったのはコンパクトFRスホーツ(AE86のような車)であって3ナンバーセダンではない。3ナンバー=デカくて重い セダン=おっさん車の印象が強かった。ただ今になるとすごく良いサイズ感に感じて価値を見出せる。まあ、AE86も発売当時は評価低かったですけどね。
昔の最繁セダンの立ち位置であるSUVで、トヨタだけでハリアーやRAV4、カロクロなど競り合ってて
強烈な加速のPHEVや、ハンドリングを楽しめるGRなどまで選べる、超贅沢な時代が今です。
しかもSUVやコンパクトに限れば、そこに他メーカーも競合として食い込んできて選択肢が広く、スポーツカーも新車で買えて車検も通しやすくなった。
未来人が羨む自動車好きにとって最高な時代、それが今です