街を走っている姿を見たかった……残念ながら発売されなかった幻のミドシップ

街を走っている姿を見たかった……残念ながら発売されなかった幻のミドシップ

 開発中のトヨタ GRセリカは、駆動方式にミドシップ4WDを採用するようだ。これまでも日本車の中には、少ないながらもミドシップ車は存在した。しかしここでご紹介するように、残念ながら日の目を見なかったミドシップ車もあった。

※本稿は2025年8月のものです
文:永田恵一/写真:ホンダ、トヨタ、マツダ、ベストカー編集部 ほか
初出:『ベストカー』2025年9月26日号

【画像ギャラリー】「乗りたかった」とまでは言わないけど……ディーラーに並んでいる光景だけでも見たかった幻のミドシップ車(14枚)画像ギャラリー

お披露目だけしていなくなるなんてツライぜ……

華々しく公開され、市販化を待つうちに消えていく……。ミドシップでなくてもよくある話だが、販売までのハードルが高いミドシップ車では特に顕著だ
華々しく公開され、市販化を待つうちに消えていく……。ミドシップでなくてもよくある話だが、販売までのハードルが高いミドシップ車では特に顕著だ

 幻となったミドシップカーを改めて見ると、ミドシップカーの多くはスポーツカーだけに、市販化にはいろいろな意味でハードルが高いことがよくわかる。

 だからこそ、ミドシップカーの市販化は奇跡的なこと。もしも手に入れられた暁には大切に乗りたいものだ。

いすゞ ベレット1600MX(1969年)

 1969年の日本グランプリに参戦したベレットR6のロードカー版となる存在で、デザインはいすゞと関係の深いカロツェリア・ギアが担当。

マツダ RX500(1970年)

 2ローター10Aを縦置きにするミッドシップで、1970年の東京モーターショーに出展。ドアはカウンタック同様の跳ね上げタイプだった。

童夢-零(1978年)

「ついに日本車にもスーパーカーが!」と、当時の子供たちを夢中にさせた
「ついに日本車にもスーパーカーが!」と、当時の子供たちを夢中にさせた

 童夢設立前から開発された、日産L28エンジンを縦置きミドに搭載したスーパーカー。当時の運輸省が難色を示しP2に移行。

童夢-P2(1979年)

 零をベースにアメリカでの認可取得を目指したモデルで、バンパーの大型化に伴うデザイン変更をはじめ、各部が変更されたが市販ならず。

ダイハツ シャレード デ・トマソ926R(1985年)

モータースポーツ参戦ベース車の究極の形として、DOHC化した926cc、直3ターボを横置きに搭載したミドシップのコンセプトカー。

日産 MID4(1985年)

市販予定はなかったが反響は大きかった
市販予定はなかったが反響は大きかった

 VG30DEを横置きにするミドシップ+4WDという当時のグループBを彷彿とさせる日産のスーパースポーツ。市販化の予定はなかったが、ショーでの反響の大きさもありIIに移行。

日産 MID4 II(1987年)

 MID4からの発展型のミッド4 IIは縦置きのVG30DETTを搭載するなどし、市販されなかったがR32GT-RやZ32につながるモデルという役割も担った。

トヨタ 222D(1987年)

 WRCのグループB代替となるグループS規定に対応し、初代MR2を2Lターボ+4WD化したが、グループS規定自体が消滅した悲運の一台。

いすゞ 4200R(1989年)

 4.2L、V8をミドに搭載したイメージリーダーとなる流麗なスーパーカーで、4人乗りかつFAXやビデオを装備するなど、豪華さも備えていた。

ジオット キャスピタ(1989年)

バブル崩壊の影響を受けた非運のスーパーカー
バブル崩壊の影響を受けた非運のスーパーカー

 1号車は童夢の車体、スバルのF1用フラット12、ワコールのスポンサードという成り立ちだったが、ジャッドV10に変更して2号車を開発も市販化は断念。

ヤマハ OX99-11(1991年)

 当時ジョーダンに供給されたF1用V12を、由良拓也氏の手による車体に搭載したスーパーカー。前出のキャスピタ同様、景気低迷などもあり幻に。

次ページは : ホモロゲ取得用のロードカー

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