新社長が「永遠の別れではない」発言!! R35型GT-R登場から18年で幕! ありがとう、またねGT-R!!!!

新社長が「永遠の別れではない」発言!! R35型GT-R登場から18年で幕! ありがとう、またねGT-R!!!!

 わかってはいたことだが、ついにこの日が来てしまった。2025年8月26日、日産自動車栃木工場で、日産 GT-Rの最終生産車がラインオフした。これをもってGT-Rは生産を終了し、歴史に一旦終止符を打つ。そう、それは「一旦」なのだ!!

※本稿は2025年9月のものです
文:ベストカー編集部/写真:池之平昌信、日産、ベストカー編集部
初出:『ベストカー』2025年10月10日号

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栃木工場で最終生産車のオフライン式

こちらが最後のR35 GT-R。納品先などは一切明かされなかった
こちらが最後のR35 GT-R。納品先などは一切明かされなかった

 ついに、ついに、日産GT-Rの生産が終わってしまった。2007年から早18年間。思い起こせば2007年10月の東京モーターショー前日。突如としてメディア向けに日産の新型車の発表があるとの連絡が入った。

 まさかのGT-R。6代目となるR35はそれまでの直6エンジンの伝統を捨て、車名からもスカイラインの6文字は消えた。そこに批判があったのも事実だけど、その後の活躍を見ればいかにその批判が野暮だったか。

 そして2025年8月26日、日産栃木工場で最終生産車がラインオフした。日産の発表によれば総生産台数は約4万8000台。

 最後のR35となった1台はTスペックのミッドナイトパープル。R33から採用されているミッドナイトパープルでGT-Rの歴史に休止符を打つというのはちょっと心憎い演出だ。

GT-Rは栃木工場で生産に携わったみなさん、横浜エンジン工場で心臓部を生み出した匠、開発部門など多くの部門で働いた日産ワーカー、そして部品供給サプライヤーたちの血と涙の結晶だ
GT-Rは栃木工場で生産に携わったみなさん、横浜エンジン工場で心臓部を生み出した匠、開発部門など多くの部門で働いた日産ワーカー、そして部品供給サプライヤーたちの血と涙の結晶だ

 当日は開発を担当したエンジニア、そして栃木工場のラインを守ってきた職人たちが集った。

 午後12時16分。後ろにフェアレディZを従え、最後のGT-Rがラインを流れてきた。18年間の歴史が終わってしまう寂しさもあったが、やはり赤い丸テールを見ると次期型への思いも沸々と沸いてきた。

 メッセージを寄せたイヴァン・エスピノーサCEOは「これがGT-Rとの永遠の別れではない」と明言した。ケンメリGT-Rが消滅し、R32GT-Rが復活するまでに要した時間は16年。確実にそれよりは短いスパンでGT-Rは復活するだろう。

 その時には必ずR35の築いてきた実績、そしてそこにかけた開発陣やカスタマーの思いを必ず反芻して、「日産GT-R」の名に恥じない名車となることを祈るばかりだ。

 ありがとう! またね、GT-R!

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