初代ウィンダムの魅力
ボディサイズは同じ時期に登場した9代目のクラウンとほとんど同じだが、全幅は1780mmと、30mmも広い。
ちなみにプラットフォームは1年後に日本で発売するセプター(海外向けカムリ)と共通だった。ホイールベースはクラウンより短い2620mmだが、FF方式だからキャビンは広く、後席でも快適だった。
エンジンはES300と同じだ。新設計の3VZ-FE型V型6気筒DOHCを横置きにし、二重防振マウントによって搭載する。
排気量は2958ccで、200ps/28.0kgmの性能だ。トランスミッションは電子制御4速ATのECT-Sで、なめらかな変速が自慢だった。
サスペンスは4輪ともストラットだが、トップグレードの3.0Gは上下G感応式の電子制御サスペンション(TEMS)を標準装備する。
海外がメイン市場だから先進安全装備も抜かりはない。ABSはもちろん、トラクションコントロールや運転席エアバッグを装備し、2.5Lモデルを加えた93年夏には助手席エアバッグもオプション設定した。
この頃、ウィンダムの凝ったコマーシャルも話題となっている。CMに出演したのは、アメリカ人の若い実業家や国際線の機長、大学教授などだった。
レクサスがターゲットとする富裕層を積極的に起用し、ES300の日本版であることも強くアピールしている。
馴染みのないブランドだし、販売価格だって安くはない。だから当時、強気で出した月3000台の販売目標は達成できないだろう、と危ぶむ声が各方面から出された。
しかし、フタを開けてみると幅広い層の人がウィンダムに飛びついたのだ。「中の上」意識の強いドライバーの心をくすぐるCM戦略が功を奏したことは言うまでもない。モデル末期まで安定して売れ続け、いつしか「パイロット御用達」グルマの称号を与えられたのである。
好調な売れ行きだった2代目
当然、その2代目はキープコンセプトで登場した。ちょっと見ただけでは新型か旧型か分からないくらいエクステリアは似ている。
さすがにエンジンは新世代のV型6気筒だった。が、サスペンションなどは進化型だ。初代の成功でブランドイメージがよくなっているから、営業担当は強気だ。月に3000台の販売台数を打ち出した。周囲の心配をよそに、ウィンダムは好調に売れ続けている。
さすがに登場から丸3年になった1999年夏に行ったマイナーチェンジでは計画台数を月1500台に絞った。
そして2000年にはテコ入れのために、アメリカのファッションブランド、コーチの皮革でシートを縫製した特別仕様車の「コーチエディション」を投入したのである。販売は、その効果もあって息を吹き返した。
販売が伸び悩み、消えた3代目
3代目のウィンダムは2001年8月にベールを脱いだ。ハードトップからサッシュドアの4ドアセダンになり、当時のセルシオを凌ぐ広いキャビンスペースを手に入れた。
エンジンは3Lの1MZ-FE型V型6気筒ハイメカツインカムだけに絞り込み、そのミッションを5速ATに進化させている。しかし、3代目は北米ではヒット作となったものの日本では販売が伸び悩んだ。
2005年には月の販売台数がふた桁まで落ち込んでいる。かつての栄光は何処へやらで、翌年にカムリと統合する形で終焉を迎えた。
3代目はメイン市場である北米でレクサスファンに受け入れられるように重厚なデザインを採用し、車格は一段上がっている。だが、日本のファンが望んだのはピラードハードトップならではの低く伸びやかなフォルムだ。
キャビンの広さに関しては2代目までで満足していたから、それ以上を望まなかった。というわけで、2006年を最後にウィンダムは惜しまれつつ日本の自動車史から去って行った。
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