軽自動車で、2シーターで、ガルウイングで、スズキ製のエンジンをミドシップに搭載し、専用ボディ(スズキにのみ「キャラ」としてOEM提供)。乗ってみるとスペシャルなハンドリングマシンだった…というオートザムAZ-1。
マツダはなぜこんな、採算度外視のクルマを作って市販することができたのか。もう二度と出せないんじゃないか。
本稿では、なぜあんなピーキーなクルマが出せたのか。そもそもAZ-1とはどんなクルマだったのか。ショーモデルの段階から追い続けてきた片岡英明氏に紹介してもらった。
文:片岡英明、写真:マツダ、スズキ
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どういう経緯でAZ-1市販化されたのか?
平成の最初を飾る1989年の秋に開催された第28回東京モーターショーは、華麗なコンセプトカーの競演にわいた。そのなかで小さいながらも強い存在感を放っていたのがマツダのコンセプトカー「AZ550スポーツ」だ。
レーシングカーのように超軽量なフレームに着せ替え可能なFRP製のボディを被せ、スーパーカールックの「タイプA」、クーペスタイルの粋な「タイプB」、そしてグループCカーのような「タイプC」の3タイプが展示された。
会場で見たとき、多くのクルマ好きは羨望の眼差しを向けるとともに、市販化を熱望する声をあげたのである。
だが、これはショーカーだから市販されることはないだろう、と思っていた人も多かった。が、熱い志を持つマツダのエンジニアは、量産化に立ちはだかる困難をひとつずつ克服し、発売にこぎつけたのである。
車名はコンセプトカーの名残を残す「AZ-1」だ。バブル景気が後押ししたとはいえ、これは奇跡だった。しかも制約の多い軽自動車で量産化を実現したのだから恐れ入る。
モーターショーの翌年、90年の春に軽自動車は規格を改定した。排気量を550ccから660ccに引き上げるとともにボディサイズもひと回り大きくしている。
AZ-1のモチーフとなっているのは、コンセプトカーのなかでもっとも注目を集めた「タイプA」だ。これを新規格に合わせ、ボディサイズと排気量を拡大した。
急場の開発だったことは、ショーカーの売りのひとつだったリトラクタブル・ヘッドライトが固定式に変更され、正式発売が92年9月まで遅れたことから分かるだろう。
コメント
コメントの使い方AZ-1発売のこの時代にもABSはありました。他にも間違いの開発過程が記載されており、全てが正しい記事ではないようです。