エンジンを中央付近に搭載することで、クルマの運動性能に重要な優れた前後重量配分を可能とするミッドシップレイアウト。このミッドシップエンジン・リアドライブのMR方式は、レーシングカーやスーパースポーツカーが採用したことで1980年初頭までは特別なレイアウトだったが、これを日本の量産車で初めて採用したのが1984年に登場したトヨタ『MR2』。日本のスポーツカー史に残る衝撃的デビューだった。
この初代MR2は2代目へと進化し、その後はさらにオープンボディへとスタイルを変えたMR-Sへとモデルチェンジ。この不世出のトヨタミッドシップスポーツカーの歴史をモータージャーナリストの片岡英明氏に振りかえっていただきます。
文/片岡英明
写真/トヨタ、マツダ
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■レーシングカーに採用されるミッドシップ
ドライバーの背後にパワーユニットを置き、後輪を駆動するミッドシップは、レーシングカーが好んで採用した搭載方式だ。重量バランスに優れ、慣性モーメントを小さくできるから俊敏に走るし、コーナリング限界も高くできる。
戦前のグランプリレーサーに初めて採用され、戦後になると多くのレーシングカーがミッドシップ方式に転換した。1960年代からはF1などのフォーミュラカーに加え、2座のレーシングカーにも採用され、その優秀性を証明している。
クルマ好きにとって憧れのエンジンレイアウトがミッドシップだ。しかし、キャビンが狭いし、ハンドリングもシャープすぎるので、日本ではレーシングカーだけの採用にとどまっていた。
いすゞ自動車が1969年と1970年の東京モーターショーに『ベレットMX1600』を、マツダもロータリーエンジン搭載の『RX500』を参考出品したが、これらは試作だけに終わっている。
その後、排ガス規制が強化され、オイルショックにも見舞われたからミッドシップのスポーツカーの話は立ち消えとなった。流れが変わるのは、排ガス対策が一段落した1980年代初頭だ。
引き金を引いたのは、保守的な自動車メーカーと見なされていたトヨタである。この時期トヨタは積極的にパワーユニットの開発に取り組み、新世代に切り替えていった。
またこの頃に4気筒エンジン搭載車の多くを、広いキャビンを実現しやすい前輪駆動のFF方式にしようとも考えている。
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