1970年代後半からわずか5年ほどの間、当時のスーパーカーブームに乗る形で人気を得た「シルエットフォーミュラ」と呼ばれたカテゴリーがあった。市販車をベースとしながら排気量は無制限、トレッドの拡大やオーバーフェンダー、ウイングなどは形状も材質も自由とされたそのド迫力ボディはレースファンを虜にし、富士や筑波で開かれた「スーパーシルエットレース」は、後述の「日産ターボ軍団」とBMW・M1の激突で大いに人気を博した。「外観(シルエット)だけ市販車に似せたフォーミュラカーのようだ」と評された“モンスター”たちの短くも熱い時代を、名ドライバーたちの証言なども交え振り返る。
※トレッド…車両における左右の車輪の中心と中心を結んだ距離
※オーバーフェンダー…幅が広くはみ出したタイヤを覆うべくボディに後付けされるパーツ。
文:高橋二朗、ベストカー編集部
写真:ベストカー編集部、尾関一
初出:ベストカー2017年1月10日号
■サーキットを沸かせた7台の侍たち
過激なシルエットが代名詞のマシンたち。主役となったのはこの時代の日産のスポーツモデルたちだったが、なかでもシルエットフォーミュラを代表する象徴的なマシンをクローズアップしてみた!
日産 スカイラインターボ
欧州のシルエットフォーミュラの象徴的なマシンがポルシェ935であるのに対し、日本のシルエットフォーミュラといえばこのトミカスカイラインターボをおいてほかには考えられない。ドライバーは長谷見昌弘で、ベースとなっているのは’81年にデビューした6代目のR30スカイラインだ。シャープで直線基調のスタイリングだが、ベース車の面影はフロントヘッドライトとリアのコンビランプ、それにキャビンだけに残っている程度。幾筋ものフィンと大きくせり出した巨大なリアウイングが圧巻で、シルエットフォーミュラの代名詞的存在なのもうなずける。1982年5月にデビューしてから’84年までの3シーズン、わずか19戦の出場となったのだが、そのうち8度優勝している。
日産 シルビアターボ
ベースは3代目S110型シルビアで、ドライバーは“日本一速い男”星野一義。車体の一部をパイプフレームとしたノバ・エンジニアリング製シャシーで、カウルはムーンクラフト製。
日産 ガゼールターボ
S110シルビアと兄弟車のガゼールもシルエットフォーミュラに参戦していた。ドライバーはブルーバードに乗り替えるまでの柳田春人が担当。
日産 ブルーバードターボ
日産3大ターボ軍団の1台で、バイオレットやガゼールを駆っていた柳田春人がドライバーとなったマシン。“Zの柳田”のイメージが強い彼もシルエットフォーミュラではブルーバードで、ベースとなったのは’79年にデビューした6代目910型ブルーバードの2ドアHT車。車体の一部をパイプフレームとしたノバ・エンジニアリング製のシャシーに大型のフロントバンパー、リアウイングを備えたムーンクラフト製のカウルを装着していた。’82年にシリーズチャンピオンを獲得したマシンで、3大ターボ軍団のなかでチャンピオンカーとなったのはブルーバードだけである。柳田はバイオレット時代の’80年に続く2度目のチャンピオンに輝いている。
トヨタ セリカLBターボ
ベースとなったのは2代目セリカリフトバック2000GTで、当時のドイツでのグループ5レースで圧倒的な強さを誇ったポルシェ935ターボへの対抗モデルとしてシュニッツァーがマシンを製作した。18RG型エンジンを2090ccまでボアアップし、クーゲルフィッシャー製イグニッションポンプ、KKK製ターボチャージャーを取り付け、車重860kgで560㎰ものハイパワーを誇った。
BMW M1ターボ
ポルシェ935の独壇場だったグループ5シルエットフォーミュラ用のマシンの開発に取り組んだBMWがランボルギーニと共同で開発し、’78年に発表したマシン。470psの直6、3.5Lエンジンをミドに搭載し、抜群の信頼性と安定性を武器に日産ターボ勢と熾烈な争いを繰り広げた。
マツダ RX-7ターボ
ベースは初代サバンナRX-7(SA22C型)。もともとは後のマツダスピードとなるマツダオート東京がル・マン参戦を目指して製作したマシン「マツダ252i」で、そのため強大なダウンフォースを生み出すフロントスポイラーが付いていないのがほかのマシンと比べた際の特徴となっている(※上写真は’82年のル・マン用に開発された254i)。ボディ製作はムーンクラフトが担当した。ロータリーエンジンは非力なA12型からパワフルな13B型に換装されており、多くのプライベーターたちがこのマシンでシルエットフォーミュラに参戦していた。
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