「ピンチはチャンス」マツダだから成し得たSKYACTIV革命
マツダはこれまで何度も経営危機に陥り、そのたびに不死鳥のように蘇ってきた。これは、危機に際してそれを克服するだけのパワーが出るということ。この“危機バネ”の強さこそが、マツダの車作り最大の特徴とさえ思えてくる。
直近の危機は2008年のリーマンショックからの赤字転落だ。ここでマツダはエンジンからプラットフォームまで、すべてのメカニカルコンポーネンツを一新する計画を立てる。
後に「SKYACTIV」という名称で知られる技術革新なのだが、業績好調時でさえ大変な大仕事を、赤字でお尻に火がついた経営状態で実行する決断を下したわけだ。
マツダは見事にその危機を克服し、初代CX-5から始まる商品ラインナップ一新に見事な成功を収める。
この辺の事情をマツダの金井誠太前会長や藤原清志副社長に聞くと、「そりゃみんなが危機感を共有したから出来たんですよ」と口を揃える。
危機に際して一致団結して対処する。それを実行するには、マツダのように広島ローカル色が強く、年産150万台クラスの会社でないと難しい。これはやはり、トヨタのような大メーカーにはないキャラクターだ。
軽に新風を巻き起こしたスズキ/ダイハツの革命児
軽自動車という規格は、200万台弱の市場規模にものすごく多様な車種がひしめいているのが特徴。
道具としてのスモールカーなら、アルトやミライースで十分。もう少しユーティリティ性が必要だとしても、ワゴンRやムーヴがあれば事足りる。
実用性では飽和している市場のなか「ウーン」と唸らされたのは、初代タントのモアハイトワゴンというコンセプトだ。
2003年の初代デビュー当時、ムーヴより10cmも高い1.7m超えの車高に果たして意味があるのか、にわかに理解し難かった。
しかし、まずこの車に飛びついた子育て世代のお母さんたちが、その使い勝手の良さを評価。
車内で子供を立ったまま着替えさせられるなんて、自動車評論家には絶対思いつかないメリット。こういう、いろんな人の生活に密着したニーズの掘り下げ合戦が、軽自動車の開発を牽引する原動力となっている。
ここまでユーザーに密着した車作りが行われるのは、軽が日本限定の狭いマーケットで激戦を繰り広げているからこそ。それは、グローバルメーカーには絶対真似できないキメ細かい仕事といえるだろう。
いすゞならではの独自性が生み出したジェミニ
現在は乗用車から撤退してしまったが、かつてのいすゞは車好きに評価の高いメーカーだった。
1960年代はベレットGTや117クーペなど、1970年代にGMと提携して以降は、オペル・カデットをベースとした初代ジェミニが、走りの良さで車好きの人気を獲得。ちょうど、現在のマツダ的なポジションのブランドだったのだ。
そんないすゞが最後に独自開発した乗用車が、1985年登場のFFジェミニだ。
オペルベースの初代ジェミニと異なり独自開発のFFプラットフォームを開発し、そこにジウジアーロデザインの端正なボディを架装。
いすゞがユニークだったのは、海外の有名ブランドと積極的なコラボレーションを行なったことだ。
117やピアッツァでの関係から、スタイリングをジウジアーロに任せたのをはじめ、サスペンションセッティングでもロータス仕様やイルムシャー仕様を設定。
シートをはじめとする内装もそれぞれ独自のテイストが与えられていて、半ばセミオーダーメイドに近いカスタマイズ感覚が味わえた。
こうした海外ブランドとの協業は、やっぱり小回りの効く小さなメーカーでないとなかなか難しい。マツダやスバルあたりは、今こそいすゞを研究する必要があると思う。
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