世界各地に「エボリューション」と呼ばれるモデルはある。そのなかでもモータースポーツを戦うなかでうまれたエボリューションは三菱のランサーエボリューションにしろ、人気は絶大。
本家エボリューションともいうべきモデルがドイツにはあった。それがDTMを視野に入れたメルセデスの「190E エボII」だ。迫力満点のエアロパーツは見せかけではなかった。
歴史に残るドイツの「エボ」を紹介しよう!!
文:プリウス武井/写真:佐藤靖彦/車両協力:RAUH・Welt Republik
ベストカー2018年7月10日号
■メルセデスがモータースポーツ復活で人気を誇った190E エボII
ヤバい、今回はいつも以上にテンションが上がるa 今回はオレが20代の頃に憧れたメルセデスベンツ190E(以下190)のスペシャルモデル、”エボリューションII”のインプレッションをお届けしまーす!
190が誕生したのは1984年。日本では景気が上向きになっていた頃でオレは当時20歳。まだレースデビューもしていない若造だった。
3年後の1987年に富士フレッシュレースにデビューするんだけど、その頃になるとバブル景気で東京は浮かれまくっていた。
夜の銀座、赤坂、六本木ではお洒落な大人が190やBMW3シリーズ(E30型)を転がしてて、それがとてもカッコよく見えた。当然、若いオレには高嶺の花でいつかコイツに乗ってやる! と思ったものだ。
190が爆発的に売れた理由は、コンパクトなスタイリングとベンツのわりには購入しやすい価格帯。
それに加え長らくモータースポーツ活動から遠ざかっていたベンツが、この190でサーキットに復活したことも売り上げに貢献したと思う。
190が発売された年にドイツではツーリングカー選手権、DTMがスタート。1955年のル・マン24時間での事故の影響でベンツ内部では、レース復帰に反対する首脳陣も多かった。
でもDTMに参戦していたライバルメーカーがレースの勝敗でクルマの売り上げが左右するほどのカテゴリーを横目で見ていたベンツも無視できなくなり、結局、AMGに190を託し、1986年からDTMに参戦をスタート。
当初はなかなか結果が出せなくてかなり苦戦する。DTMが始まって2年後に参入したマシンは当然こうなる。そこでベンツは1989年に戦闘力のある市販モデル190エボリューションIを500台限定で発売。
その翌年には、派手な空力パーツをまとったエボリューションIIを500台限定で発売した。その戦略も手伝って戦闘力が上がり、’92年には念願のDTMドライバーズチャンピオンを獲得。
全24戦中16戦で優勝をかっさらい、名実ともに最強のツーリングカーとなった。
■希少な個体に試乗 コンパクトボディとハイパワーの融合はいかに?
エボIIが正規で日本に入ってきたのは50台。現存している190エボIIは個体が少なくて、希少価値は驚くほど高い。当時の新車価格は1000万円くらいだったけど、現在では2000万円以上する個体はざらにある。
実は13年くらい前に千葉・市川にある友達の中古車屋「ZTOオート」にコスワースエンジンが載った2.3L、16バルブの190が入ってきて、迷わず即買いしちゃったんだよね。
ATからマニュアルに換装して、草レースにも出てとっても楽しかった。でも当時、付き合っていた彼女からの評判は悪く、「なんでこんなボロいクルマに乗るのよ!」ってずいぶんと嫌味を言われた。
そんな思い出深い190は現在、どんなパフォーマンスなのかいざインプレッション!
室内インテリアは黒を基調にしたごくふつうの190。メーター周りもオレが乗っていた190とまったく同じデザインで、特別な仕様にもかかわらずそこにこだわりはないようだ。
シートはオーナーの手によりレカロに変更。乗り心地と体を包み込むホールド感がさすが世界のレカロって感じ。ローポジションにオフセットされていて目線は低い。
視認性は高くて車体の見切りもいいから特別仕様のクルマなのに意外に緊張感はない。
セルを回すとエンジンが唸りを上げる。昔、もっとえげつないエキゾースト音だったような気がしたんだけど、コックピットに響く排気音は至ってふつうのクルマ。
トランスミッションは5速。Hパターンのシフトノブを左下に入れると1速。リバースは通常のミッションの1速にあたる左上だ。クラッチペダルは、軽くて駆動する瞬間がわかりやすく扱いやすい。
搭載されるエンジンはコスワースの2.5L、16バルブで235psを発揮。MAXパワーが出るのは7200rpmと高回転型で、停止状態からアクセルを踏み込むと、気持ちよく回りNAでも瞬発力ある加速でいい感じ。
28年前のクルマだけど、エンジンのレスポンスもよくとても扱いやすい。
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