零戦、メッサ―シュミット、P-51マスタングなど、かつて世界で戦った名機の戦闘能力を決定づけたのは「エンジン」だ。国家の存亡をかけて開発されたそれら発動機が、我々の愛車のパワーユニットの源流といえる。20年に渡って航空機を取材してきた著者が、その取材機を元に、航空機とクルマの系図を紹介したい。
文/鈴木喜生、写真/藤森篤
【画像ギャラリー】ダイムラー・ベンツ製のエンジン「DB605」を搭載したメッサーシュミット空撮記【名車の起源に名機あり】
ブランド名に残る航空産業のDNA
昨今の主要自動車メーカーの起源が、かつての航空機メーカーにあることはご存じのとおり。とくに航空機エンジン・メーカーからの系譜が色濃く、たとえば、零戦が搭載した「栄」や紫電改の「誉」は、中島飛行機製のエンジン、つまり現スバル社によって製造されたものだ。
また、マスタングP-51やスピットファイアが搭載したエンジン「マーリン」は、ロールス・ロイス製であり、フォッケウルフFw190は「BMW 801」エンジンを搭載していた。そして、ドイツ空軍の名機メッサ―シュミットは、ダイムラー・ベンツ製の「DB」を採用。各国の名戦闘機が搭載したエンジン・メーカーのDNAは、現在の自動車ブランドに継承されている。
筆者が「メッサーシュミットBf109-G4」の空撮を行うために米国バージニア・ビーチを訪れたのは2019年5月のこと。この地にある「ミリタリー・アヴィエーション・ミュージアム」には、第一次、第二次大戦時の戦闘機などが数十機、飛行可能な状態で保存されていて、敷地内には全長500mの滑走路がある。
第二次大戦時のヨーロッパでは芝の滑走路が多用されていたが、同館の滑走路も米国では珍しい未舗装の芝であり、欧州機を撮影するにはこのうえない環境だった。ちなみに保有機も施設も滑走路も、すべてオーナーの個人所有物である。
液冷式12気筒V型の「ベンツ」を積んだメッサー
ハンガーから曳き出されたBf109-G4は、予想よりもはるかに小さく、垂直尾翼の高さが筆者の首元あたりまでしかない。スパン(全幅)は9.924m。シートに少々寝た状態で搭乗する極狭のコクピットはF1マシンを連想させる。その機体サイズは、小型軽量として知られる零戦よりひと回り小さい。
機首のカウルを開けてもらうと、ダイムラー・ベンツ製のエンジン「DB 605A」が現われる。この液冷式12気筒V型エンジンは倒立状態で搭載されているが、各気筒内にガソリンを直接噴射する燃料噴射ポンプを搭載しているため、急降下でマイナスGがかかっても息継ぎをしない。そのためキャブレター方式を採用していたライバル機、英国のスピットファイアの追撃を悠々と振り切ることができたという。スーパー・チャージャーとともに、この時代としては先進的なシステムを数多く採用したエンジンである。
プロペラ軸から弾丸を発射
もうひとつ、この機体の特筆すべきシステムは「モーター・カノン」だ。通常の戦闘機の場合、機銃は左右主翼などに搭載されることが多いが、このメッサーシュミットBf109-G4ではスピンナーの中央から弾丸が発射される。つまり、コクピット・パネルの下部に搭載された20mm機関砲の弾丸は、エンジン内を貫くプロペラ軸の内部を通って機首から射出されるのだ。DB 605Aエンジンが倒立で搭載されているのも、このシステムのレイアウトによる制約からだ。
モーター・カノンは、機軸と火力線が同一となるため命中精度が高い。しかし、この複雑なシステムは振動問題などを発生し、開発陣を悩ませたという。ちなみに、この機体の主翼には機銃や燃料タンクが搭載されていないため、主翼を胴体から簡単に外すことができ、機体を貨車に載せ、鉄道によって高速輸送することが可能だった。
世界に6機現存するDBエンジン搭載機
戦勝国であるアメリカやイギリスには、当時のままのエンジンを載せた大戦機が、フライアブル(飛行可能)な状態で数多く保存されていて、航空イベントではその飛行を見ることができる。いっぽう、敗戦国である日本やドイツの機体は破棄処分されてしまい、現存機はほぼ残っていない。
2017年に幕張で里帰りフライトを果たした零戦二二型(AI-112)も、残骸をもとにロシアで新造された機体だ。また、羽田空港の敷地を地中レーダーで探ると、当時埋められた日本軍機の機影が無数に浮かび上がるという。
私たちが取材したメッサーシュミットBf109-G4も、近年になって復元製造された1機である。ともに取材に赴いた大戦機ジャーナリスト藤森篤氏によると、この機体はロシアで回収された機体の残骸をもとに、ドイツにある「メイヤー・モーターズGmbH」社によって復元製造されたものとのこと。回収機の主翼は復元困難だったため、ほぼ同規格の他機から転用しているという。エンジンは、大戦機用エンジンを専門に扱うカリフォルニア州にある工房によって再生されたものが搭載されている。
大戦中、ロシアは独軍と激しい戦闘を繰り返したが、広大なロシアの大地には両国大戦機の残骸が数多く残されていると考えられている。近年ではそうした遺物が衛星写真によって発見されることもある。
この取材機と同様に、DB(ダイムラー・ベンツ)系エンジンを搭載し、飛行可能な状態で復元製造されたBf109は、世界に6機現存すると推定されている。そのうち、米国にある飛行可能なG型は、当ミュージアムが保有するこの1機だけだ。私たちはこの希少な機体の勇姿を映像に残すべく、カメラプレーンをチャーターし、動画とスチールによる空撮を約1時間に渡って行った。
株式会社メッサーシュミットは、現在はエアバス社へ
DB(ダイムラー・ベンツ)の名は、高級車ブランドの名として、またはその社名として今に残る。では、「メッサ―・シュミット」はどうなったのか?
株式会社メッサーシュミットの創業は開戦直前の1938年。敗戦後は日本と同様、連合軍によって航空機の生産が禁止されたため、一時は超小型三輪車(マイクロカー)のエンジンを製造していたが採算が合わず、1964年に自動車製造業から撤退。1968年には航空機製造を再開し、幾度か合併と社名変更を繰り返したのち、1998年には米独の複合企業であるダイムラー・クライスラー・グループに買収され、その航空機製造部門は「ダイムラー・クライスラー・エアロスペース」(DASA)と呼称された。
さらに2000年、フランスとスペインの同業他社との合併により、「EADS」(European Aeronautic Defence and Space Company)に社名を変更。つまり、これが「エアバス」社の前身である。メッサーシュミットの名は歴史から消えたが、そのDNAは今も世界を代表する航空機メーカーに内在し、受け継がれているのだ。
【画像ギャラリー】ダイムラー・ベンツ製のエンジン「DB605」を搭載したメッサーシュミット空撮記【名車の起源に名機あり】
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