■V35は北米でのインフィニティブランド向上の切り札として投入!
スカイラインの転機は、いまから20年前に登場した11代目の「V35」であることは明らかだ。
”V35への布石”として、日産が1999年10月の第33回東京モーターショーでコンセプトモデルとしてXLVを出展した時点で筆者を含めてショー現場で取材していたメディア関係者の多くが「まさか、これが次期スカイラインなのか!?」と半信半疑だった。
なにせ、XLVによってR32/R33/R34というGT-Rを筆頭とするスカイラインのイメージが完全に崩れてしまったのだから。
その後、ゴーン体制によってスカイラインのイメージ刷新が確定的となると、ユーザーのみならず、自動車雑誌各誌で自動車評論家諸氏が「XLVとしてはいいクルマでも、これはもはやスカイラインではない」と手厳しい論調で自論を示した。
一方で、海を渡り「インフィニティG35」と名乗るV35はアメリカで絶大なる人気を博した。こうした人気の渦の真ん中で、筆者は当時カリフォルニア州ガーディア市にあった北米日産本部で日米の日産関係者らと”インフィニティのこれから”について定常的に意見交換していた。
また、全米各地の日産とインフィニティの販売店を取材する機会も多かった。
日産は当時(2000年代初頭)、ダイムラーのAMGやBMWのMが先行する、プレミアムスポーティ戦略を強く意識しており、インフィニティG35導入きっかけにそれまでのFFベースからFR主流へとインフィニティブランドの方向性を大きく軌道修正した。
それまでアメリカではスカイラインが正規販売されたことはなく、アメリカ人にとってV35は事実上の”スカイライン初体験”となった。
北米日産のマーケティング戦略では、日本におけるスカイラインのレース活動の歴史を紹介するなど、V35に秘めた日産の技術力を強くアピールし、それがアメリカ人の心を掴んだ。
また、アメリカの大手自動車各誌では、インフィニティG35のライバルをBMW3シリーズに設定して、サーキットやワインディングでの試乗記を掲載した。こうしたアメリカのトレンドを受けて、筆者も北米日産からインフィニティG35の広報車を借り出し、日本の自動車雑誌向けにBMW3シリーズや日系各車の比較試乗記事を多数執筆した。
こうしたアメリカ発の情報に、日本のユーザーからは「V35が3シリーズのライバルという設定はちょっと無理がある……。アメリカ人の考え方が理解できない」というような意見をよく聞いた。
ところが、G35が切り開いたインフィニティ戦略はその後、大成功を収める。
インフィニティG35は2ドアモデルや、G37として進化。また、G35とFRプラットフォームを共有するフーガが「M45」の名で、シーマが「Q45」で登場し、クロスオーバーとして「FX」も大ブレイクした。
■ V35以降日本のみ「スカイライン」の名を継承することに
モデル展開しては、2007年にFXよりひと回り小さいクロスオーバーSUVの「EX35」が誕生する。その実車が米デトロイトで公開された際、筆者は日産幹部らとさまざまな意見交換をした。
その際、日本市場導入の可能性についても話は出たが、まさかスカイラインを名乗るとは、筆者は想像できなかった。結果的に、スカイラインクロスオーバーをスカイラインとして認識する日本人はけっして多くなかった。
一方で、こうしたインフィニティG35を起点とする”スカイライン戦略”のなかで、筆者を含めて、メディア関係者やユーザーが気にしてきたのが、「新GT-R(現行R35)」だ。R35が誕生に至る過程で、日産の幹部や担当開発者らとさまざまな機会で意見交換してきたが、結果的に”スカイラインとは切り離したスーパーモデル”という道を歩んだ。
さらに、日産はインフィニティモデル名をセダンとクーペがQ、またクロスオーバーのQXで統合したことで、Q50とQ60が誕生した。
こうしたなか、日産が2013年夏、グローバル報道陣向けに米西海岸で開催した「NISSAN360」で、星野朝子氏から私を含めて報道陣に「Q50をスカイラインとして日本に導入することをどう思うか?」という問いかけがあった……。
あれから8年が経ち、いま日本市場でのスカイライン存続か否かがメディアで話題となっている。
グローバルでSUVシフトとEVシフトが進むなか、スカイラインはいま、未来に向けた岐路に立っていることは確かである。
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