「シーマ現象」といわれるほど、売れに売れた時代もあった、日産のフラッグシップセダンである「シーマ」。しかし今となっては、ヒットモデルの面影はなく、直近の月間販売台数は、一桁もしくは多くても10台程度と、見るも無残な状況だ。
冷静に分析すると、日産がシーマに見切りをつけて国内販売を打ち切る可能性は高い。そうなると、先日ホンダがレジェンドの2021年いっぱいでの生産終了を発表したこともあり、国産高級サルーンのカテゴリーはトヨタ(とレクサス)だけが残ることになる。選択肢が減るのは悲しいことだが、それだけ日本全体に余裕がなくなってきたということなのかもしれない。
かつての名門シーマは、どうしてこうなってしまったのだろうか。
文:吉川賢一
写真:NISSAN
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シーマは社員も憧れる一台だった
今から15年ほど前、とある日産社員が、定年退職で辞めることになった。その際、最後の会社へのご奉公として、退職金の一部を使って新車のF50シーマを購入するという話をされていた。当時筆者はまだまだ若手社員だったので、「お金あるんだなあ」程にしか考えていなかったのだが、その方は、自らへのご褒美としてだけでなく、日産で働いた証として、その時代のシーマを購入することが、一つの目標だったそうだ。
ちなみにその方は、車両実験部のテストドライバーであった。元テストドライバーとしては、F50シーマが普通のラグジュアリーセダンでなく、相当なスピードスター(駿足)マシンだったことも、購入の大きな動機だったかもしれない。
「憧れの3ナンバー車に乗りたい」
シーマ誕生の経緯について、振り返っておこう。シーマは、1988年に、「セドリック」と「グロリア」の上級仕様=シーマ(スペイン語で頂点を意味する)として、それぞれ「セドリックシーマ」「グロリアシーマ」として誕生した、国産初のパーソナルユース3ナンバー車だ。
当時のジャガーやメルセデスにも似た、角を落として丸みを帯びたスタイリングや、排気量3リッターV6ターボのVG30DETエンジン(255ps/35.0kgfm)による怒涛の加速、電子制御エアサスペンションによる極上の乗り心地など、他メーカー車に勝る魅力が、多くあった。
アクセルを強く踏み込むと、リアのセミトレーリングアームサスが沈み込んで加速する体験は、当時の小金持ちの男性を釘付けにしたそうだ。実は、加速時のリア沈み込みを防ぐアンチスカット角が弱かっただけなのだが、むしろ加速感があるとしてウケてしまい、設計サイドとしては苦笑いものだったそうだ。
また1988年当時は、3ナンバー車へのあこがれの高まった時代であり、また、1980年代末のバブル経済も後押しとなって、500万円近くした高級車のシーマを、20~30代の若者が背伸びをして買う、という現象がおきた。
爆発的人気となったシーマは、4年間で12万9000台を販売したという。これが「シーマ現象」だ。日産は、「憧れの3ナンバー車に乗りたい」という顧客の情緒的な心理を、バブル経済による後押しを活用し、見事にヒットさせていた。
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