街をドライブしていると見かけることの多い子どもが飛び出してくるかのようなイラストが描かれた看板。その役割は言わずもがな、子どもの飛び出しがあることを注意喚起している。実は彼にはちゃんと名前があり、長い歴史があるのだ。そんな彼の出生や名前の由来を紐解いていこう。
文:西川 昇吾/画像:Adobe Stock(トビラ写真=shiro2mashiro)、写真AC
【画像ギャラリー】いまや世界でも活躍中? とび太くんは日本を飛び出ても道路は飛び出さない!(3枚)画像ギャラリー名づけの親はみうらじゅん氏
彼の名前は「飛び出し坊や」。実にストレートな名前なのだが、この名前は実はみうらじゅん氏が名付けたとされている。時は1976年頃、18歳だったみうらじゅん氏が、琵琶湖畔を知人とドライブしていた時に、この看板をみて「飛び出し坊や」と名付けたそうだ。
それが今日まで広まっていったということらしい。
なお、1976年頃と聞いて「結構歴史があるんだなぁ」と思った人も多いかもしれないが、飛び出し坊やは1973年に誕生しているのだ。
そしてみうらじゅん氏のエピソードで「琵琶湖畔」とあったように、飛び出し坊やは滋賀県で生まれているのだ。
目を引く看板で注意喚起を
1973年、このころはどんなことがあっただろうか?日本は高度経済成長期に入っており、自動車が急速に普及していた時代であった。そうなると当然事故も増えてくる訳だ。その中には子どもの飛び出しによる事故も多発していたのだ。
そうした背景の中、滋賀県旧八日市市(現・東近江市)の社会福祉協議会は「どうしたら子どもの飛び出し事故を防げるだろうか?」と考えていた。
そこで依頼をしたのが東近江市で看板製作をしている「久田工芸」であった。依頼した久田工芸が生み出したのは、子どもが飛び出す様子が描かれた看板であった。これが後の飛び出し坊やとなっていく。これは「近くに子どもがいる!」と注意する看板を作ろうと思ったのが背景にあるようだ。
こうして、第1号となった飛び出し坊やは八日市市社会福祉協議会がかつてあった所在位置前の道路に設置されたのだ。
滋賀から全国、オリジナルグッズも登場
実は登場当初から飛び出し坊やの見た目は変わっている。当初はもう少し等身がある見た目であったが、徐々に変化し、現在のデザインに落ち着いたようだ。ちなみに現在でも1枚1枚久田工芸で丁寧に描かれて製作されている。
なお、世間的にはみうらじゅん氏が名付けた「飛び出し坊や」が有名となっているが、製作した久田工芸は「とびだしとび太」と名付けている。
現在では全国に設置されるほどの人気者であり、オリジナルグッズも販売されているほどだ。更に滋賀県栗東市出身の韓国語講師である故 永田 純子さんはこの飛び出し坊やを愛し、彼を世界に広めて設置もしていた。日本だけではなく、海外にも飛び出し坊やは設置されているのだ。
一目で「子どもが飛び出してくるかも」と危険を予感させる飛び出し坊や。彼が救った命は多いはずだ。







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