2000年のWRCツール・ド・コルスでカメラマンが巻き込まれた悲劇!!

■スゴ腕ヘリパイロットがコース脇に着陸! カメラマンを搬送!

なんと、コース脇の僅かな隙間に着陸したヘリコプター。文字通り猫の額ほどのスペースに降りている。ラリードライバーがスゴ腕なら、それを支える救護班もまたスゴ腕だ
なんと、コース脇の僅かな隙間に着陸したヘリコプター。文字通り猫の額ほどのスペースに降りている。ラリードライバーがスゴ腕なら、それを支える救護班もまたスゴ腕だ

 確かにヘリコプターといえ、パイロットが全長全幅を把握していれば降りられるわけで、以前アクロポリスラリーでテニスコートにヘリが下りたのを見たことがあったが、コルスの時は本当にすごいと思った。

 でもこの現場、木も生えているし山側は急な崖になっているので、やはり高度な技術を持っているパイロットなんだと思った。そしてあっという間にカメラマン(命に別状はなかった)をストレッチャーに積み、ヘリは現場を去って行った。

 当のマキネンとコドラのマニセンマキは特にケガもなかったが、三菱チームはこれで全滅してしまった。

 ちなみにこの場所はSS1と同じ場所で、初日にロイクスがコースアウトした場所からコーナーで2つほど先のコーナーだった。

 またこのラリーでは、SS8でコリン・マクレーがコースアウトで頬骨を骨折するなどのケガをして病院にはこばれてしまった。

 この原因の一部として、このラリーからWRCのレッキの規定がかわり、レッキ車はノーカラーリングのグループN(安全装備と規定部品以外無改造)車両を使って2回までの規定になったことがあげられる。

 これは全車同一のハンデーではあるが、混乱をもたらしたのは間違いない。

●解説●

ドライバーのマキネン(左)とコドライバーのマニセンマキ(右)
ドライバーのマキネン(左)とコドライバーのマニセンマキ(右)

 2000年のWRCには三菱ランエボVI、スバルインプレッサWRC、フォードフォーカスWRC、プジョー206WRCなどが参戦。セアトやシュコダ、ヒュンダイもワークス車両を送り込むなど活況を呈していた。

 トップカテゴリーはWRカー規定で争われており、ベース車両に対して4WDやターボエンジン、オーバーフェンダーなどを追加することが可能となっていた。

 しかし三菱はWRカーの投入が遅れ、改造範囲の狭いグループA既定のマシンで参戦していた。

 2000年のツール・ド・コルスは、プジョー206WRCに乗るジル・パニッツィが優勝。

 トミ・マキネンは1996年から1999年まで三菱ランエボで4年連続のチャンピオンを獲得したが、2000年以降はチャンピオンになれず、2002年にスバルへと移籍した。

【画像ギャラリー】コーナーのアウト側でのWRC観戦・撮影は厳禁!! コースアウトしたクルマが飛んでくる恐れがあります

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