先日閉幕した東京オリンピックから、さかのぼること7大会。ロサンゼルスオリンピックが開催された1984年は、カローラやサニーといった小型セダンが全盛の時代だった。しかし、マークIIやクラウン、セドリック/グロリアといったアッパーミドルクラスに憧れをもつ人も多くなっていた。いわゆる「ハイソカーブーム」だ。
しかし、そんな世の中の流れに逆らうかのようなクルマが登場する。日本初の市販ミッドシップスポーツ、トヨタ「MR2」だ。軽快な走りでスポーツドライビングを楽しむ多くのファンを魅了した、初代MR2の魅力を紐解いていこう。
文:立花義人、エムスリープロダクション
写真:TOYOTA、HONDA、GM、ベストカー編集部
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GMの「ポンティアック・フィエロ」に触発されて登場
「MR2」とは「ミッドシップ・ランナバウト・2シーター」の略である。ランナバウトとは「きびきびと走る小型車」を意味するもので、「MR2」は、「ミッドシップレイアウトのコンパクト2シーターモデル」というクルマの内容をそのまま車名としたモデルだ。
この時代は、ミッドシップといえば、フェラーリやランボルギーニといったスーパーカーで採用されていたレイアウトであったことから、「贅沢なレイアウト」というイメージがあった。しかしそんななか、1983年にGM(ゼネラルモータース)が、「ポンティアック・フィエロ」が登場させる。
このポンティアック・フィエロは、「アメリカ車で初めてのコンパクトな量産ミッドシップ」であり、スチール製のフレームに強化プラスチック製のボディパネルを採用し、エンジンやトランスアクスルといったコンポーネンツは既存のコンパクトカーから流用することで、販売価格を1万ドル以内に収めたリーズナブルなスポーティカーだ。このポンティアック・フィエロの登場に呼応してトヨタが開発したのが、MR2であった。
ちなみに、トヨタとGMは1984年に合弁会社「NUMMI(ヌーミ)」を設立しているが、MR2とポンティアック・フィエロに部品やメカニズムの共通性はない。
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