新型車を続々と登場させ、復活に向けて着実に歩みを進めている日産だが、現在も、国内のラインアップは充実しているとはいえない状況。しかし、同じく経営状態が良くなかった1990年代末は、いまとは違って、日産はかなり多くの車種をラインアップさせていた。
当時はハイトミニバンやSUV人気が始まる前、MPVやステーションワゴンが流行していた時代。多くのラインアップのなかでは、ステージアやプレーリー(のちのリバティ)、プレサージュなどの人気車の陰で、人気を得られず、一代限りでひっそりと姿を消していったクルマもあった。ステーションワゴンの「ルネッサ」、MPVの「ティーノ」、そしてミニバンの「バサラ」だ。
今回はこの三銃士を振り返りつつ、なぜあの時代に一代限りの新型車が乱発したのか、考えてみよう。
文:吉川賢一
写真:NISSAN、TOYOTA
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革命(ルネッサンス)するには至らなかった「ルネッサ」
セレナよりも全高が低い、セミトール型ステーションワゴンとして誕生した「ルネッサ(1997年~2001年)」。日産ではマルチアメニティービークル(MAV)と呼んでいたが、ジャンル的には当時流行りのステーションワゴンにカテゴライズされた。
大きく前後にスライドできる後席は広いスペースを誇り、また一部グレードでは、前席が回転対座式となっており、まるでリビングのように使うことができた。
ルネッサは元々、米国向けのバッテリーEVとして開発されたモデルであったため、EVとしてもコンバートできるよう、床下へ動力用バッテリーを搭載できる二重構造フロアとなっていた。そのため床面が高くなっており、加えてステーションワゴンタイプで全高も低いスタイルであったため、窮屈だという声が多く、人気があまり上がらずに、僅か5年間、一代のみでその幕を閉じた。
だが、米国では「アルトラEV」として、国内では「ルネッサEV」として、計約200台が販売され、その過程で培ったEV技術は、のちの「リーフ」の登場に、確実に繋がっている。
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