日本車なのに日本語の車名なぜ少ない? 英名カタカナ表記のネーミングの理由とは?

■日産のセンス溢れるネーミング

 日産の日本語由来の車名は、数は少ないながらも、印象的な日本語をイメージさせるネーミングが施された例がある。現役世代としては残念ながら生産中止が予定される「フーガ」(風雅)がある。

 2004年10月にそれまでのセドリック&グロリアを受け継ぐ形で誕生した「フーガ」(FUGAの表記はイタリア語)は音楽用語で、J.S.(ヨハン・セバスチャン)・バッハによって確立された音楽形式の名称。日本語の上品で優美さを意味している「風雅」の意味合いとともに、このモデルの持つ「優雅さとダイナミックさの調和」が「(音楽の)フーガ」の持つ「調和」と通じるところにちなんだとされている。

フーガはクラシック音楽の形式と日本語の「風雅」の意を併せ持つ造語に近いネーミングは、シーマなどとともにかつての日産には見られた、最後の洒落たネーミングだったかもしれない。残念ながら日産の上級セダンの歴史(インフィニティでは残るのだろうが)は途切れてしまうことが決定した
フーガはクラシック音楽の形式と日本語の「風雅」の意を併せ持つ造語に近いネーミングは、シーマなどとともにかつての日産には見られた、最後の洒落たネーミングだったかもしれない。残念ながら日産の上級セダンの歴史(インフィニティでは残るのだろうが)は途切れてしまうことが決定した

 過去にはミニバンのプレサージュの上級の兄弟車である「バサラ」(婆娑羅、サンスクリット語起源)があった。「人々の形式や常識から逸脱して奔放で人目を引く振る舞いや、派手な姿格好で身分の上下に遠慮せず好き勝手に振舞う者たち」を意味する。バサラは1999~2003年にラインナップされていたが、日産の販売店再編により、兄弟車といえるプレサージュ(1998~2009)よりも先にラインナップから外された。

 その他には、コンパクトカーのティーダも日本語由来といえ、沖縄の琉球語の太陽を意味する「てぃだ」に由来していた。2008~2012年に販売され、ノートにコンパクトカーの役割が引き継がれた。

「バサラ」という車名の由来は、ダイヤモンドを意味するサンスクリット語の「ヴァジャラ」が伝わって生まれた日本語「婆娑羅」で、ダイナミックで輝くような存在感を表現したとされている
「バサラ」という車名の由来は、ダイヤモンドを意味するサンスクリット語の「ヴァジャラ」が伝わって生まれた日本語「婆娑羅」で、ダイナミックで輝くような存在感を表現したとされている

■オーテックの特別仕様車「キタキツネ」

 いっぽう、特別仕様車ではRV全盛時代に、オーテックジャパン(当時、後のオーテックはブランド化された)が生みだしたのが特別仕様車の「キタキツネ」だ。

 1994年にセレナに設定された特別仕様車である初代「キタキツネ」は、専用のグリルガードやルーフスポイラーを与えられたグリーンとグレーの2トーンカラーがカジュアルな雰囲気を漂わせていた。

 2002年9月には2代目セレナにも「キタキツネ」が登場した。その後はバネットの「ウミボウズ」やラルゴの「ヤマアラシ」などRVの特別仕様車を生み出すきっかけとなった。

2代目セレナのキタキツネ。基本的に特装車両車を手がけていたオーテックジャパン(後にオーテック・ブランドとしてモデルラインナップに組み込まれた)が仕上げた特別仕様車が「キタキツネ」。いかにもRVらしさに溢れたキャラクター作りが印象的だった
2代目セレナのキタキツネ。基本的に特装車両車を手がけていたオーテックジャパン(後にオーテック・ブランドとしてモデルラインナップに組み込まれた)が仕上げた特別仕様車が「キタキツネ」。いかにもRVらしさに溢れたキャラクター作りが印象的だった

■海外市場向けの日本語ネーミング

1972札幌冬季オリンピックでサッポロの名が世界的に知られたことから三菱はギャランラムダの欧州、南米向けにはサッポロという車名が付けられた
1972札幌冬季オリンピックでサッポロの名が世界的に知られたことから三菱はギャランラムダの欧州、南米向けにはサッポロという車名が付けられた

 その他の日本メーカーでは、地味ながらも日本語由来の車名がわずかながらも見られる。

 三菱の現行車種では軽自動車のeKワゴン(eKクロス)は、「いい軽」とダジャレレベルながらギリギリの線だろう。海外では三菱は、1976年に発売された三菱ギャランラムダの欧州名および南米名は三菱サッポロ、英国では三菱コルトサッポロを名乗った。ショーグンの車名で知られえいるパジェロは英国でショーグン・スポーツの名が生き残っている。

 ダイハツのきわどいプチ日本語ネーミングを挙げれば、「タント」がその例といえる。「たんと」(数量が多い、豊富、いっぱいの意)からの由来はイメージできるが、実はほぼ同義のイタリア語とされていても、充分「日本語的」といえる。

 スズキでは1998~2009年に「Kei」という軽自動車モデルが登場した。「軽」そのままのネーミングには発表当時は驚かされたものだが、コンセプトは今風にいえばクロスオーバーSUVかもしれない。スズキの本気を感じさせたのが「キザシ」(兆)だ。2009年に発売された北米市場を意識したミドルクラス・セダンは、「世界の市場に向け、新しいクルマ作りに挑戦する」という挑戦的なコンセプトが掲げられていた。

日本市場では分が悪いとはいえ、生真面目な4ドアセダンとして登場した「キザシ」(兆)は、北米市場での販売も見据えて開発されたスズキのフラッグシップモデルだった。日本市場では2015年まで販売された
日本市場では分が悪いとはいえ、生真面目な4ドアセダンとして登場した「キザシ」(兆)は、北米市場での販売も見据えて開発されたスズキのフラッグシップモデルだった。日本市場では2015年まで販売された

 海外仕様としては、スズキが日本名としては北米仕様のジムニーに「サムライ」の名を与えているのは、ジムニーファンにはよく知られていることだ。

 なお、スズキは二輪メーカーとして、「隼」(ハヤブサ)や「刀」(カタナ)のモーターサイクルがあるが、ジムニーには他にもインドネシア仕様のジムニーにカタナと呼ぶ例もあって、海外市場向けに配慮したネーミングといえる。

 最後に日本メーカーの過去の日本語車名として触れておきたいのは、2002年に乗用車の販売から撤退したいすゞのアスカ(飛鳥、発表当時はフローリアンアスカ)だ。自社製といえる初代(1983~1990)は、当時傘下にあった米ゼネラルモーターズの「J-Car」のいすゞ版の真っ当なセダンだった。2L直列4気筒エンジンに5MT、3速ATに加え、いすゞ独自の電子制御5段オートマチックトランスミッション「NAVI-5」を搭載していた。

 いすゞのHPから「車名の由来」を抜粋すると、「日本文化が初めて花開いたのは、飛鳥時代であるが、これは外国から伝来した文化をもとに、日本人の情感とたくみさを加えて完成したものである。これからますます国際化する車のありかたを考え、この車にふさわしい名前として選定した」とあって、当時の作り手としての気概が伝わってくる。

悲運といってよいいすゞの4ドアセダン「アスカ」(飛鳥)。かつて「ビッグスリー」と呼ばれた米国メーカーであるゼネラルモーターズのワールドカー戦略の一端を担った
悲運といってよいいすゞの4ドアセダン「アスカ」(飛鳥)。かつて「ビッグスリー」と呼ばれた米国メーカーであるゼネラルモーターズのワールドカー戦略の一端を担った

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