■光岡自動車の和名路線の変遷
さて、日本語由来のネーミングを広めた日本メーカーといえば、いろいろな意味で衝撃的だった光岡自動車(以下、ミツオカ)に違いない。既存の日本メーカーの手法である英語を基本とした命名方法を逆手にとって、ネーミングに日本語由来のオリジナルなイメージを作り出すことで、既存のメーカー製品との差別化を図った。これにより和名のモデルといえばミツオカの一連のモデルが思い浮かばせることに成功したといえる。
ミツオカは過去にはカスタムカーや輸入車販売の「BUBU」ブランドを展開。「10番目の自動車メーカー」として、1996(平成8)年当時はスーパーセブン風の「ゼロワン」で国土交通省の型式認証を受けた車両を販売するに至った。
最近ではトヨタRAV4ベースの「バディ」やマツダロードスターベースの「ロックスター」といったアメリカ車のデザインを思わせるモデルが好評だが、現在ではモデルのキャラクターごとに対応して、和名にこだわることはなくなっているようだ。ここからは、ミツオカの日本語由来の名を与えられたモデルを独断ながらピックアップしてみたい。
●ビュート/「美」「遊」「人」
ミツオカの日本語由来の名で登場した、一躍ミツオカの名を一気に世間に知らしめたヒット作が「ビュート」だ。2代目の日産マーチをベース車両として生まれたのが1993年。車名は美しく遊ぶ人という「美」「遊」「人」と「view」(風景)が由来の造語だが、製作面でメーカーと協力して生み出されたコンプリートカーとして広く世間に知られるようになったビュートを、一連のミツオカ製品の和風ネーミングの流れを生みだしたモデルとして外すわけにはいかない。
5ドアボディを基本としてFRPボディパネルを前後に与えてセダンスタイルに変え、グリルと丸目2灯を組み合わせてジャガーMk2風のマスクを仕立て、革シートなどを装備してレトロな雰囲気のキャラクターは現在も変わらない。
●オロチ/「大蛇」
ミツオカの最も注目を浴びたモデルと言えるのが「オロチ」(大蛇)だろう。2006年に登場、日本の神話に登場する怪物である八岐大蛇(ヤマタノオロチ)から得た大蛇のネーミングとともに、賛否両論あったスタイリングなども含め、強烈な個性を備えた「オロチ」は、スーパーカーと呼んで差し支えないと思う。
「オロチ」は、2001年の第35回東京モーターショーに初出展した際のコンセプトカーとして誕生した。「あまりにも大きな反響をいただき、市販化を決定。国産車にこだわり、設計開発に費やした時間は実に5年と、安全性、環境対策などの厳しい法基準の中での自動車開発は小さな乗用車メーカーにとって究極の試練でした。乗用車では1996年のミツオカ・Zero1以来の型式認定車となった「オロチ」は、2006年10月に市販モデルを発表し、2007年4月より発売を開始いたしました。」(光岡自動車HPより抜粋)
●ガリュー/「我流」
日産からベース車両の供給を受けたセダンであるガリュー(我流)は、ロールスロイス風のグリルには世間に批判されようが、インパクトがあったことは確かだ。
1996年に登場した初代はタクシー用途を基本としたクルー、2代目がY31型セドリック&グロリア、3代目はフーガ、4~5代目はティアナをベースとして、2020年まで販売された。
●リョーガ/「凌駕」
1999年に発売された初代は、2代目(P11型)プリメーラ&プリメーラワゴンがベース。グリルを除けば、手を加えられた範囲は少なく、ミドルクラスへの販路拡大を狙ったモデルといえた。
2代目(写真)はベース車両をB15型サニーとして、前後ボディパネルをクラシカルなデザインに変更。価格も先代よりも抑えていた。
●ヒミコ/「卑弥呼」
●レイ/「麗」
初代レイ(麗)はフロントにヴァンデンプラ・ブリンセスなどで知られる、英国BMCのADO16風のグリルが特徴。初代(1996~)、2代目(1999~)のベース車両はマツダキャロル、3代目(2002~2004)はダイハツミラジーノ(初代)をベースとした。
初代と3代目は内装に木目調パネルを与えられていた。ミツオカが仕立てた軽自動車ベースのモデルは意外と少ないこともあって、希少性も備えている。
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