■「77」と「99」
発売されたホンダ1300は「77」「99」の2モデルであった。100PSエンジン搭載の77は角型ヘッドランプだったのに対し、115PSの強力版99は丸型にされていた。
ひと口でいうならば、独走的な高回転高性能タイプの空冷エンジンをフロントに横置きした前輪駆動小型車。二輪車の技術が随所に採り入れらているのは、初期のホンダの特徴というものであった。
つまり、ホンダ・スポーツで四輪車界に参入し、N800級の商用車L800につづく、ホンダにとって初めての小型車クラスの乗用車。前年1967年3月に登場して「軽」の世界に旋風を巻き起こしたホンダNからのさらなる前進、でもあった。
登場したホンダ1300の一番の注目点はそのエンジン、とりわけ「空冷」システムである。
軽合金のシェルモールドという手法で形づくられるヘッド、ブロックは、外面だけでなく内面にもフィンを持つ「エア・ジャケット」に包み込まれており、その隙間をクランクシャフト直結のファンから送り込まれるエアにより、強制的に冷却される仕組みだ。
「DDACシステム(Dual Dyna Air Cooling System)」と呼ばれる一体式二重壁構造の方式である。
これにドライサンプ潤滑方式を組合わせ、それこそF1で培った技術を注ぎ込んでいることを主張した。ドライサンプのタンクにも冷却用のフィンが切られ、オイルによるエンジン冷却も期待されるものになっていた。
エンジン後方に組込まれたギアボックスへの伝達はチェインが用いられており、まさしくホンダらしさの総動員というようなものだった。
まだこうしたメカニズムが興味の中心だったから、当時の若者はカタログと首っ引きで、最高速やエンジンパワーの数字に注目したのだった。
61.7:38.3というフロント・ヘヴィで、走らせるには相当の技術を要するマニアックなクルマ、という評判を生んだが、当時の雑誌テストなどで、1.3Lクラスのトゥーリングカーとして「世界最速」というお墨付きをもらったのは、なによりの勲章のようだった。
■究極のホンダ1300Sクーペ
ホンダ1300は、1969年の東京モーター・ショウでホンダ1300Xなるクーペを展示。それは1970年2月にホンダ1300クーペ「7」「9」として発売される。戦闘的なデザインの2ドア・クーペで、それぞれサルーンの77、99に準じる内容であった。
ただし、100PS、115PSを豪語していたパワーは、低回転域のトルクを改善するという理由で前年12月、95PS、110PSに下げられていた。それでも185km/hの最高速度を謳う最強のホンダ1300クーペには、若者人気が沸騰していた。
しかしその後はマイルドな方向にチェンジがつづき、1972年には10万台あまりを生産してフェードアウトする。
そして、後継として登場したホンダ145、145クーペは、水冷4気筒エンジンになっていた。80PS~90PSを発揮するこのエンジンは、シビックのそれを拡大したもの。後者にはインジェクションが装着されていた。
スタイリングこそホンダ1300ゆずりだったが、当初のモデルの持つ迫力、奔放さはすっかり失せていたのだった。
それも1974年に生産中止になるが、それはシビックのために生産ラインを明け渡す、というのが大きな理由だった。時代は変わっていたのだった。
【著者について】
いのうえ・こーいち
岡山県生まれ、東京育ち。幼少の頃よりのりものに大きな興味を持ち、鉄道は趣味として楽しみつつ、クルマ雑誌、書籍の制作を中心に執筆活動、撮影活動をつづける。近年は鉄道関係の著作も多く、月刊「鉄道模型趣味」誌ほかに連載中。季刊「自動車趣味人」主宰。日本写真家協会会員(JPS)
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