先日のクラウン・ワールドプレミアで、クラウンの歴史を語っていた豊田章男社長の口から「セルシオ」のワードが飛び出した。それは9代目から15代目クラウンについて語る冒頭、クラウンの苦難の時代を語り出した直後である。
「まず、トヨタにおけるクラウンの位置づけが変わります。1989年、トヨタは、レクサスの最上級車LSを、セルシオとして日本にも導入いたしました。いつかはクラウン。その立ち位置が変わるという大きな転換点を迎えます」
これが発言箇所の全文である。トヨタの看板を背負い、先陣を切って戦っていたクラウンの位置づけを一瞬で変化させたセルシオとは、どんなクルマだったのだろうか。セルシオが日本の高級車、そしてレクサスLSとして世界の高級車に与えた影響を考えていく。
文/佐々木亘、写真/TOYOTA、奥隅圭之、ベストカーWeb編集部
【画像ギャラリー】世界へ!! 大ヒットした初代セルシオ&挑み続ける新型クラウンクロスオーバーを見よ(14枚)画像ギャラリーシャンパンタワーの衝撃! セルシオの誕生
1989年、レクサスの最上級車として北米市場に導入されたLS。当時アメリカで流されたCMは、ボンネットの上に5段のシャンパンタワーを作り、シャシーダイナモの上で時速140マイル(約230キロ)以上を出しても、シャンパンタワーが崩れず、中身もこぼれないという印象的なものだった。
世界中の名だたるプレミアムセダンと勝負するために、LSは「世界で最も振動が少なく、静かなクルマ」となったのだ。
北米でのLS登場と同年、国内がバブル景気で盛り上がり、シーマ現象などと呼ばれる高級車マーケット拡大の最中、セルシオは日本国内に導入される。現在の楕円形が組み合わされたトヨタのコーポレートアイデンティティー(CI)が用いられたのも、このセルシオが初めてだ。
これまでとは全く違う「新しいトヨタが走りはじめます」と銘打ったCM。セルシオの高性能・高品質・高精度を実現するために、全周10kmにも及ぶ、時速250km以上で走行できるテストコースを、北海道の士別に用意し、セルシオの開発には万全な体制が敷かれている。
全長が5mに迫り、心臓部には4000ccのV8エンジンが搭載された。セルシオの肝となるサスペンションには前後ともダブルウィッシュボーン式が採用され、一部グレードではエアサスが用意されている。
セルシオはトヨタが世界的企業となる礎を作り、日本の自動車ユーザーに対して、世界レベルの自動車技術を知らしめたクルマの一つであろう。
コメント
コメントの使い方