【レビン/トレノvsシビック ストリームvsウィッシュ そしてサンバー…】 忠義を尽くして戦い続けたクルマたち

 時は元禄15年12月14日・深夜。大石内蔵助はじめ赤穂藩の旧藩士47名が、吉良上野介邸に討ち入りを果たす。亡き殿、播磨赤穂藩藩主・浅野内匠頭長矩の無念を晴らすために……。

 『忠臣蔵』。自らの命を亡き殿に捧げた旧藩士(浪士)たちの忠義の物語は、300年以上の時を経たいまもなお日本人に愛されてやまない。あえて汚名をその身に受けながら殿の無念を果たす好機をひたすら待ち続けた姿というのも、またいいんでしょうな。

 その討ち入りの12月14日がまさに今日! ということで(「いやそれ旧暦だから」とか野暮なこと言わないでくださいね)、この企画。

 殿(自動車メーカー)のために忠義を尽くしたクルマ、自らのプライドをかけライバルに立ち向かっていったクルマ、殿にいい報告ができたクルマ界の話などを探ってみた。いざ!

※本稿は2014年12月のものに適宜修正を加えています
文・写真:ベストカー編集部
初出:『ベストカー』 2015年1月10日号


■“農道のポルシェ”スバルサンバーは真田幸村だった

 さながら戦国時代最後のヒーロー、真田幸村を思い起こさせるような忠義のクルマが軽トラ界にいる。

 軽トラの販売シェアは、長らくダイハツハイゼットトラックとスズキキャリイが約7割を占めている状況。そんな軽トラ界の2巨頭に送り込まれた“刺客”が、今はなき“スバル製の”サンバートラックだ。6代の歴史を重ね、2012年まで生産。

 初代から一貫してフルキャブオーバー型を採用し、ライバルたちより荷台のサイズを確保。またリアエンジンなのでエンジン音が意外と静か。4輪独立サスペンション採用も、他車にはない大きな魅力だった。

ノーマルのサンバー

 これらスバルのクルマ作りの精神がファンに愛され、スバルの技術が広がっていったのである。偉いぞ、往年のサンバー。

 だが販売台数的には2巨頭に大きな差をつけられ、なんとも皮肉な話だが現行7代目は倒すべき相手であったハイゼットトラックのOEMとなっている。

 ただ、少ない手勢で知略(もちろんこれはスバルの技術を指す)を尽くし戦い続け、敵の手中に落ちながら(=ハイゼットトラックのOEM)もメーカーに貢献しつづけるこの姿、あるいは秀頼に最後まで忠義を尽くし散っていった幸村にダブる思いがあるのです。

 熱烈なファンが今なお多いのも納得である。

WRカー風に仕立てるファンがいるほど、スバル製サンバーはスバル魂を貫いた軽トラだった

■レビン&トレノ vs シビック 忠義の心をかけた15年戦争

 まずは殿(メーカー)の顔を潰させまいと、ガチな闘いを繰り広げたライバル同士、その長き戦いの歴史を紹介しよう。

 1980年代中盤、時のトヨタ レビン・トレノ(AE86型)のライバルはワンダーシビックだった。4バルブDOHCの4A-G型エンジンを積むレビン・トレノに対し、シビックは1.5LのSOHC。マイナーチェンジで1.6LDOHC「ZC」型を搭載するSiを追加。いよいよそのライバル関係は加熱してゆく。

 1987年、レビン・トレノとシビックはともにモデルチェンジ。AE92型(通称キューニー)はFFとなり、FF同士の闘いは、まさに両メーカーの威信をかけた戦いへと発展。

 1989年にはシビックに160psのVTECエンジンが搭載されるが、キューニーには165psのスーパーチャージャーがあったゆえパワー的にはレビン/トレノの勝ち。しかしこの2台の熱い闘いはレビン/トレノが消滅する2000年まで続くことになる。

1980年代中盤から始まったレビン/トレノとシビックの闘いは舞台を移しても続いた

 当時の両車はグループAレースでも文字どおり火花を散らす意地とプライドのぶつかり合いを繰り広げていた。メーカーのプライドをかけたその両車の姿は、さながら殿に忠義を尽くす家臣のようであった。

 グループAでのレビン・トレノは、S/C仕様がクラス区分の関係で参戦できずNAで参戦。キューニー時代はVTECのシビックにパワーでかなわず、5バルブ化されたAE101はパワー勝負ではほぼ互角となるも、シビック優勢でグルーブAは終了した。

 結果だけみれば敗者となったレビン・トレノ。だが熱い戦いを繰り広げ続けたその姿に焦がれたファンは多いはずだ。

■“打倒スカイライン”の御旗のもとに

 とかくスカイラインというクルマは、一方的に“仇討ち”の対象となる運命を背負ってしまっているかに見える。

 というか、他メーカーにしてみればとにかく倒しておきたい敵なのだろう。スカイラインを打ち倒すことで、「スカイラインより凄いクルマ」という世間からの評価が得られる。それが「殿」に絶大なる富と栄誉をもたらす、という図式だ。

 3代目セリカが5代目スカイラインジャパンに「名ばかりのGT」というCMキャッチコピーでかみついたのは有名な話。

 その後、6代目R30スカイラインにはセリカXXが、また三菱からはスタリオンGSRがシリウスダッシュで「2L最強」を争うなど、ますます激化の様相を辿っていく。

 逆に言えばそれだけスカイラインは「偉大な壁」だったということだろう。

セリカの挑戦を受けて立った5代目スカイライン

 ところが7代目スカイライン、彼らの挑戦をかわし、一方的にマーク2を敵と見なして勝負を挑む(あえなく返り討ち)というトホホな展開に。

 それでもその後16年ぶりに復活したR32型は、果し合いを挑んできたトヨタ スープラ、三菱 GTOを見事に返り討ち。殿への変わらぬ忠義を尽くしている。

■忠義の魂で戦い敗れ去ったストリーム

 忠義と恨み(!?)を賭した戦いといえば、ホンダスのトリームとトヨタ ウィッシュとの壮絶なシェア争いをおいて他にあるまい(ほんとか)。

 2002年7月誕生のストリームは、新タイプの5ナンバーミニバンとして瞬く間に人気車に。月販6000台近くを売っていたが、2003年1月にトヨタウィッシュが登場のすると、まるで謀られたかのようにお客を奪われてしまった。

 2003年1月の月販台数はストリームの3101台に対し、ウィッシュは1万6208台。すっごい数字の差! たしかに、その数字に裏打ちされるかのような完成度の高いクルマではあったのだが……。

初代トヨタウィッシュ(上)と初代ホンダストリーム

 このままではホンダ(殿)の面目が丸つぶれに。「このままでなるものか!!」と、ホンダの開発チームはウィッシュの上をいかんと2代目ストリームを完成させる(2006年7月)。

 直後、9月の月販台数はストリームの1万187台に対しウィッシュは7091台。殿と、そして自らのプライドのため、ストリームがついに積年の恨みを晴らした瞬間なのである(嗚咽)。

こちらは2代目ウィッシュ

 しかししかしだがしかし。栄華はそう長く続かない。2代目ウィッシュの登場後、ストリームの販売は下降線。ついに2014年5月、生産停止と相なった。ホンダは2015年2月にジェイドなる新参者が現れるまで、車高の低いミニバンモデルが一旦消滅することとなるのである。

■お家に富をもたらした忠義のクルマたち

 長らく続く販売台数の低下など、お家(自動車メーカー)が苦しい局面、大ヒットを飛ばし忠義を示したクルマたちもまたある。

 たとえば5代目ファミリア。33カ月連続で同モデルの前年同月比を超えるなど、大ヒット。1回目COTYにも輝き、その前の4代目は今再び映画『幸せの黄色いハンカチ』で武田鉄矢が乗っていたクルマとして脚光を浴びる。殿もさぞかし鼻高々だったことでしょう。

初代オデッセイ

 また、初代オデッセイはまさに殿が苦しい時に売れに売れた孝行&忠義グルマ。それまでの国産車にはなかったパッケージングは、その後他社も参考にするほど。

 初代キューブも同様。カルロス・ゴーン来日前夜の1998年、日産が厳しい日々を刻んでいた頃に誕生。発売約10カ月で累計生産台数が10万台を突破するなど大ヒット。「よくぞ尽くしてくれた」と当時の塙社長が言ったとか言わなかったとか……。

初代キューブ。いずれも殿(メーカー)の救世主的な存在だった

■「排ガス規制」に熱き思いの歴史あり忠義を尽くした技術話 あれこれ

 排ガス規制に関わる技術で忠義を尽くしたネタを紹介しよう。

●殿が自分で困難を突破した珍しい? ケース ホンダエンジンCVCC

 真っ先に浮かぶのがホンダのCVCC。1970年に施行されたアメリカの排ガス規制(マスキー法)をクリアするために、ホンダが独自の技術で開発に成功した排ガス対策エンジンだ。

 ビッグ3ですら諦めていた排ガス規制値を東洋の小国の、しかも当時はやっと4輪車の製造に乗り出したばかりの名も知れぬメーカーがクリアしたのだから、世界中が驚いたことはいうまでもない。

 これによりホンダの技術力が世界に広く知らしめられ、ホンダの企業力が底上げされた。で、殿に忠義を、というより殿(本田宗一郎)自身が殿(しんがり。殿だけに)を務め困難な道を突破した立身出世の物語でもあるのだった。

初代シビックとCVCC

●変わらぬ忠義の心とスピリットが世界への道を切り拓く マツダ SKYACTIV技術の開発

 日本におけるディーゼルの排ガス規制に機敏に対応したのがマツダだった。前処理なしで厳しい排ガス規制をクリアしたクリーンディーゼルを実用化したSKYACTIV技術は、マツダの技術力を世界にアピールすることとなった。

 歴史を振り返っても、マツダは独自のエンジン技術に積極的で、1960年代終盤~1970年代にかけてはロータリーのマツダとして名を馳せ、1990年代にはいち早くミラーサイクルエンジンやプレッシャーウェーブディーゼルエンジンなどにトライするなど意欲的だったが、独創的ゆえに失敗も多かった。

 ディーゼルの排ガス規制の一件は、常に時代の先端を目指しながらも悔しい思いを重ねてきたマツダ開発陣が忠義の心がついに日の目を見た瞬間と言えるだろう。さぞかし殿への良い報告ができたことだろう。天晴れでござる。

マツダの積年の恨み(?)を果たしたかのような会心の出来となったSKYACTIVディーゼルと新型デミオ

■プラットフォーム共有化 コスト削減で忠義を尽くす

 世界的なプラットフォーム共有化の流れ。これこそ、設計や生産コストの削減に大きく貢献し、殿(自動車メーカー)に利益をもたらす策のひとつと言っていい。

 そんな、自分の殿に“忠義を尽くすプラットフォーム”の事例、日本では特に小型車のプラットフォーム共有が進んでおり、目立つのはやはりラインアップ数の多いトヨタ。例えば、初代ヴィッツのNBCプラットフォームは、ほかのFF車にも多彩に使われている。

写真はトヨタのTNGA(トヨタ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)。2012年に発表された新しいプラットフォーム構想だ

 いくつか挙げてみると……、プラッツ、ファンカーゴ、WiLL Vi、WiLLサイファ、初代bB、初代ist、シエンタ、初代プロボックス/サクシード、MR-S、ヴィオス(東南アジア市場向け専売車種)……など、全13車種に及ぶ。

 いやぁ~、貢献しまくり、忠義を尽くしまくり。もっとも、世界No.1企業となるにはこれくらいの効率化も必要なのかもしれない。


【番外コラム】 討ち入って返り討ちに遭っちゃったクルマ

 トヨタガイア。1998年5月、上でも紹介したオデッセイがバカ売れの状態の時期に、イプサムの姉妹車として誕生(覚えてますか?)。

パッケージングと多彩なシートアレンジなどで打ち出したガイア

 殿(トヨタ)にいいとこ見せようと思い、オデッセイ潰しの刺客として放たれたのだが……。登場後5~6000台を売った月もあったものの、その年の12月には2854台と早くも下降線。2001年にマイナーチェンジを果たしたものの上昇気流に乗れず、2004年に生産終了。

 オデッセイのように売れまくって殿への忠義を見せようとしたが、夢かなわず散っていった。今となっては、「全能ガイア」のCMキャッチコピーが空しく響く……。

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