1960年11月、第42回トリノショーでワールドプレミアを飾ったスカイライン スポーツ。
初代スカイラインのシャシーにミケロッティの手によるボディを載せたそれは、日本初のスペシャルティカーとも言われる。その市販型の、貴重なカタログをここに掲載する。
※本稿は2022年11月のものです
文/片岡英明、伊藤明弘、写真/ベストカー編集部 ほか
初出:『ベストカー』2022年12月10日号
■生産台数はわずか60数台 スカイラインスポーツ
日本で初めて高級スペシャルティカーを送り出したのは、スカイラインを生んだプリンス自動車工業だ。
航空機メーカーを母体とするからメカニズムには自信を持っていたが、デザインは欧米に敵わないと自覚していた。そこでデザインをイタリアのカロッツェリアに依頼している。
ボディデザインはジョバンニ・ミケロッティが手がけ、製作は名門コーチビルダーのアレマーノが担当した。
「スカイライン スポーツ」がベールを脱ぐのは、1960年11月に開催された第42回トリノショーだ。美しい2ドアクーペと優雅なコンバーチブルを発表している。
1961年初頭に日本に送られ、プレス発表の後、10月開催の全日本自動車ショーでお披露目された。正式発表は翌1962年4月だ。
デュアルヘッドライトを斜めに配置し、台形グリルを組み合わせた個性的なフロントマスクとドア後方をホップアップさせた伸びやかなフォルムが目を引いた。
美しい面と形にこだわったから、トリノからオッペライオ(職人)を呼び寄せ、技術指導を仰ぎながらハンドメイドで仕上げている。
パワーユニットはグロリアのGB4型直列4気筒OHVだ。排気量は1862ccで、最高出力94ps/4800rpm、最大トルク15.6kgm/3600rpmを発生した。
トランスミッションはコラムシフトの4速MTで、150km/hの最高速度をマークする。メカニズムは平凡だがエンジンは力強く、高速走行も上手にこなした。
クーペでも185万円と、超高価だったため生産は60台ほどにとどまった。コンバーチブルはとくに少数だ。
だが、このクルマの登場がイタリアン旋風の呼び水となったのだ。
(TEXT/片岡英明)
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