「北米重視」へ舵を切ったスカイライン
1990年代の後半には、日産が業績を悪化させ、1999年にルノーと資本提携を結んだ。この時に日産の最高執行責任者に就任したのが、カルロス・ゴーン元会長であった。
この時期に日産は新プラットフォームを使った4ドアセダンを開発、「XVL」の名称で1999年の東京モーターショーに出品した。このXVLがゴーン氏の意向もあり、11代目「V35型」スカイラインに。当時「スカイラインが大幅な路線変更」、「ローレルの後継車種ではないのか?」などいろいろな反響があった。
発売は2001年で、2002年の登録台数は1万2810台。2003年にはスカイラインクーペの追加で1万6165台に伸びたが、2005年には6613台まで減ってしまう。
これ以降のスカイラインは、インフィニティブランドの都合で開発されている。モデルチェンジのたびにボディが拡大され、内外装も北米の好みを反映させるようになった。
近年では、2014年に現行型の13代目「V37型」に発展して、2015年には6145台を登録。少ないながらも、発売直後には月平均で500台少々は売れるのだ。これは「新型になったら必ず買う」という根強いスカイラインファンが健在であることを意味する。
ただし、この常連顧客の需要は長続きせず、2016年は4204台、2017年は2919台、2018年は前述の2576台と下がっていった。
スカイラインはどこで間違ったのか?
このように、スカイラインの販売ピークは意外に早く1973年に訪れた。この後は、セダンではライバル車のマークII/チェイサー/クレスタなどが車種を充実させ、売れ行きを伸ばしていく。クーペもライバルのセリカが力を付けて、RX-7やプレリュードも加わる。
日産車ではクーペのシルビアが1975年に復活し、1979年には姉妹車のガゼールを加えた。1988年以降はセフィーロも登場する。スカイラインにとっては、これらがすべて逆風になった。
スカイラインの販売下降が明らかになった転換点は、1981年に発売された6代目「R30型」だ。
5代目「C210型」までは4気筒と6気筒でホイールベースを変えていたが、6代目は4気筒のスポーティエンジンとなるFJ20E型を導入したこともあり、ホイールベースをGT系の長いタイプに統合。4気筒をロングホイールベースにするコンセプトの変化(曖昧さ)も災いして、1984年には年間登録台数が初めて10万台を下回った。それ以降、10万台を超えた年はない。
7代目「R31型」以降は販売減少に歯止めがかからず、1997年には「R33型」の年間登録台数が2万台を下回った。「R34型」でも浮上せず、11代目「V35型」は一層下がってしまう。ここからは北米指向を強め、フルモデルチェンジの度に大勢の顧客を失っていく。
つまりスカイラインは、海外で売られるインフィニティとしての立場を強めたことで、クルマ作りが日本のユーザーを離れて、売れ行きを落とした。
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