■5ナンバーサイズのスポーティミニバン市場を開拓したホンダ初代ストリーム
1994年に登場して大ヒットとなった初代オデッセイの弱点は、3ナンバーボディであることだった。その弱点を補うべく、5ナンバーのオデッセイとして2000年に登場したのがストリームだ。
当時は、バブル期に青年時代を過ごした層が家族を持つ時期であり、コンパクトで走りがスポーティなストリームは大ヒット。発売から1年で10万台以上を販売した。
ところがトヨタはそのストリームを徹底的に研究して初代ウィッシュを開発。サイズはmm単位まで同じで、フォルムもソックリだった。これを見て一部カーマニアは「またトヨタのコバンザメ商法か!」と激怒したが、市場はそんなことはおかまいなし。
ウィッシュはストリームに対してメカ的に優れた部分はなかったが、ほんのわずか広い室内やトヨタの販売力によって早々にストリームを超え、一時は年間15万台も売りまくった。
ストリームも頑張ったが、販売力の差はいかんともしがたく、そのうちミニバン購買層のスポーツ志向が薄れたことで、ジワジワと差が開いて行った。消滅したのも、ストリームのほうが3年早かったのでした。涙が出る。
■バブルならではのVIP感でトヨタ上級車を一時駆逐した日産初代シーマ
「きっと新しいビッグカーの時代が来る」という予告に従い、1988年に登場した初代日産シーマ(セドリックシーマ/グロリアシーマ)は、バブルを象徴する高級セダン。セド/グロをベースにしながら、別格感のあるグラマラスな専用デザインで登場した。3ナンバー専用ボディ自体が、当時の常識を打ち破るゼイタク感だった。
そしてエンジンは、3LV6ターボの255ps! 当時の国産モデルとしては最高スペックで、「暴力的加速」と絶賛(?)された。初代シーマは登場から1年で4万台近くが売れ、「シーマ現象」と呼ばれた。
この程度のサイズやスペックは、現在ではごく普通だが、当時の国産車としては掟破りの存在で、バブル景気に沸く日本人は皆、「こんなゼイタクが許されるのか!」「時代は変わったなぁ……」と感動に打ち震えた。
が、シーマの快進撃はバブル崩壊とともに終了。1991年登場の2代目以降は新鮮味もなくなり、まったく振るわなかった。
一方、同じ1991年にトヨタは初代アリストを発売。イタルデザインによる流麗でグラマラスなボディは、2代目シーマにはない新鮮さがあり、後にVIPカーのベースとしても大人気を得た。
アリストは、セルシオ、クラウンマジェスタとトライアングル態勢でシーマを完全包囲。初代の成功体験から守りに入っていたシーマは火だるまとなって墜落し、バブル崩壊を象徴する存在となったのでした。その後も細々と存続するも、ほとんど名前が残っているだけで、事実上シーマは2代目で死んだと言っていい。
シーマの死は、アリストに追い落とされたというよりも自滅だったが、シーマの後釜に座ったのは、一時的にシーマに王座を奪われ覚醒した、トヨタの強力なラインナップだったというわけです。涙。
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