室内の広さなど車の特長を決定づける駆動方式は、大きく分けて前輪駆動と後輪駆動のふたつがあるものの、現代の日本車では前輪駆動車が圧倒的に多い。
最新の登録車販売台数(2019年2月)を見ても、1位の日産 ノートから10位のトヨタ ルーミーまでトップ10は全て前輪駆動車で、後輪駆動車は24位のクラウンが最上位と少数派の存在だ。しかし、歴史を振り返ると、後輪駆動が車の基本形だった時代も長い。
後輪駆動から前輪駆動へと主流が移り変わった歴史ときっかけ、そして、いま顕在化しつつある後輪駆動復活の兆しとは?
文:御堀直嗣
写真:HONDA、Newspress Ltd、編集部
後輪駆動から始まった車の歴史と転機
ドイツのカール・ベンツが世界初のガソリンエンジン自動車を発明した時、その「パテント・モトール・ヴァーゲン」は、人の後ろにエンジンがあり後輪を駆動した。この構造から、ベンツが機械仕掛けの馬を構想したと解釈できる。
馬は、後ろ脚から駈歩(かけあし)をはじめる。なおかつベンツは、自動車を「機動性と実用性に優れ、エンジンが車体と有機的に一体化した自走車」と定義している。有機的と表現した言葉に意味があり、それは単に便利な機械(無機物)を設計した訳ではないという意図が示されている。有機体とは、生物を意味するからだ。
これに対し、ゴットリープ・ダイムラーがベンツからやや遅れて同じ1886年に製作した「ダイムラー・モトール・クッシュ」は、まさに馬車の床をくりぬいてエンジンを載せた、“馬無し馬車”であった。馬車をエンジンで走らせただけであり、ベンツのそれとは似て非なるものである。ただ両車とも、後輪駆動である点は共通している。
車の基本的な型といえる、人の前にエンジンがあって後輪を駆動する(FR)原型は、フランスのパナール・エ・ルヴァソール(ルネ・パナールとエミール・ルヴァソールの会社)が考え出した。これを、システム・パナールと呼ぶ。
一方、エンジンを横置きにして人の前に置き、前輪を駆動する方式(FF)は、1904年に米国のウォルター・クリスティが発明した。乗用車に使って広く世に知らしめたのは、第二次世界大戦後の1961年に英国で誕生したアレック・イシゴニス設計のミニだ。
日本車の“定番”カローラも70年代まで「後輪駆動」
FFの構想は、1974年のフォルクスワーゲン ゴルフでも用いられ、「世界の小型車の規範」とさえいわれたゴルフの影響を受け、小型FF車が広まっていく。
日本では、1960年代に普及した軽自動車のなかでホンダ N360がFFを採用し、同じくホンダは1970年代のシビックにもFFを選んだ。限られた車体寸法の中で、「マンマキシマム・メカミニマム」の合理性を重んじた結果だ。
その後、1981年の日産サニー、1983年にはトヨタのカローラとコロナもFFとなり、日産ブルーバードもFFとなった。ここからFFが日本車全体に大きな影響を及ぼしたといえるだろう。
1981年の2代目ホンダ アコードは米国でも生産され、FF前提で設計された1982年のトヨタ カムリとともに、やがて米国市場における乗用車1位を競うようになっていく。
FRからFFへの移行は、単に小型車製造の合理性だけでなく、上級車種におけるゆとりや快適な室内という商品性にも広がった。1990年の日産プリメーラは、FFでも運転を楽しめる操縦性を築き上げた。
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