■バンパーの転換期
バンパーの変換期の1つとなったのが1970年代だ。1971年、アメリカの運輸省道路交通安全局は、連邦自動車安全基準215条を制定した。1972年9月以降に登場する新車、既存の販売車は1974年モデルから、安全性向上のために強化型のバンパーを装着することを義務付けたのだ。
この法案はシボレー・カマロやダッジ・チャレンジャーなどのマッスルカーの事故や都市部において低速での追突事故が絶えなかったため、損保会社が直訴して実現した。
フロント側のバンパーは5マイル(約8km/h)、リア側は2.5マイルの速度まで衝撃に耐えられるものを装着することを決めている。灯火類と給油口、マフラーなどの安全性確保の項目も盛り込まれた。だから一般には「5マイルバンパー」と呼ばれている。
バンパーとボディフレームはショックアブソーバーで繋がれ、衝突時はショックを吸収した。バンパーの高さや強度も重要視されたので、小ぶりなバンパーを加えてダブルバンパーとした高級車も出現している。だが、ルックス重視のスーパーカーなどは頭を抱えた。
■日本国内での5マイルバンパー問題
日本で最初に5マイルバンパーを採用したのはトヨタのセリカだ。1975年10月に排ガス対策を強化したが、このときに5マイルバンパーを装備した。
だが、日本ではアメリカほど衝突安全基準が厳しくなかったから、カッコだけ5マイルバンパー風にしたものが少なくなかったのである。大型バンパーを装着して簡単に3ナンバー化できることもあり、高級セダンにも積極的に採用された。
衝撃を吸収するショックアブソーバーを内蔵し、補強も徹底した5マイルバンパーはコストがかかる。そこで輸出仕様と同じようなビッグバンパーに見せながら、中に入れているリーンフォースメントと呼ぶ補強メンバーの配置を変え、ショックアブソーバーも省いてしまったのだ。
だから衝突時にほとんど役に立たなかった。これは一部のマスコミから叩かれ、ニュースにもなっている。その後はポリウレタンやポリプロピレンなど、樹脂でショックを吸収する構造のバンパーに変わっていった。
■金属製から樹脂製へ
1980年代半ばから一気に金属製バンパーは減り、これに代わって樹脂製バンパーが台頭してくる。初代VW ゴルフも、前期モデルは金属製だったが、後期モデルは大型の樹脂製バンパーに変わった。
1983年に登場したホンダのバラードスポーツCR-Xは、2種類の素材をボディパネルに採用したが、バンパーの素材も「H.P.BLEND」と名付けられた変形ポリウレタンだ。
ちなみにホンダは、早い時期にリアバンパー内にもバンパービームを設け、後方から当たったときにもショックを緩和する構造とした。
樹脂製バンパーは軽量だし、デザインの自由度も高い。また、柔らかい素材だから安全性においても金属製バンパーの上を行く。
最初は樹脂の色をそのまま使っていたが、安っぽく見えるというので日本の自動車メーカーは塗装できるカラードバンパーを生み出している。最初は欧米のメーカーも異を唱えていたが、ユーザーの声には逆らえず、90年代後半には見栄えのいいカラードバンパーが主役となった。
コメント
コメントの使い方昔のバンパ-はフレ-に取り付け、ボディ前面の傷防止が主な役割
その後モノコックになり、衝撃吸収バンパ-になったがバンパ自体の修理費が20万円近くに、