衝突エネルギーを和らげるため、昭和のクルマに必ず付いていたバンパー。ところが時代が進むにつれて存在感が薄くなり、いまじゃボディと一体化したおとなしい存在となってしまった。デザインのアクセントでもあったバンパーはいったいどこに行ったのか。その発展の歴史を追いかけてみた!
文/片岡英明、写真/AdobeStock(トップ画像=Primo Passo@AdobeStock)
今となっては懐かしい金属製バンパー
バンパー(BUMPER)とは、自動車のボディの前端と後端に装備して衝撃を和らげる緩衝装置のことである。その役割は、クルマ同士がぶつかったときや人などとぶつかったときに衝撃を緩和し、被害を最小限に抑えることだ。
最初に登場したバンパーは金属製だった。安全なことに加え、頑丈で、ぶつかって変形しても簡単に修理できるから普及している。
金属製のバンパーの時代には、オーバーライダーと呼ばれる縦長のパーツ(日本では鰹節とも呼ばれた)を組み合わせバンパーも用意されていた。これはちょっとした衝突の際に、大事なバンパーを保護するものだ。
また、バンバーの全面や両側に保護用のラバーやモールを追加したクルマも登場する。曲がるときに壁などに擦ってしまうことがあるだろう。これを防ぐ目的で考案された。機能装備ではなく、バンパーを守るためで、自動車が贅沢品だった時代の産物だ。
第一次世界大戦の後、欧米では自動車産業が活況を呈し、急成長を遂げた。航空機の分野からもたらされた革命的な技術が自動車にも用いられている。ボディ構造では乗用車に全体で剛性を確保し、強度を出す一体構造のモノコックボディが採用されるようになった。
昔のバンパーはデザイナー泣かせ
バンパーの役目も変わりつつあったが、日本では第二次大戦が終わってもシャシー構造のバスとトラックが主役だったし、乗用車は少数だから、バンパーはお飾りのようなものだ。
ただし、見栄えをよくするために、立派なバンパーが装備されるようになり、これがアメ車を中心にエスカレートしてくる。
だが、無骨なバンパーを嫌うデザイナーも少なくなかった。1965年に登場したトヨタスポーツ800や67年に発売されたトヨタ2000GTが採用しているのは、オーバーライダー風の薄型デザインのバンパーだ。
この時期、マツダのファミリアはU字型のバンパーを採用し、ボディと一体にデザインすることに努めている。そして1970年秋に鮮烈なデビューを飾ったスペシャルティカーのセリカは、上手にバンパーをフロントマスクの下に収めた。
バンパーの転換期
バンパーの変換期の1つとなったのが1970年代だ。1971年、アメリカの運輸省道路交通安全局は、連邦自動車安全基準215条を制定した。1972年9月以降に登場する新車、既存の販売車は1974年モデルから、安全性向上のために強化型のバンパーを装着することを義務付けたのだ。
この法案はシボレー・カマロやダッジ・チャレンジャーなどのマッスルカーの事故や都市部において低速での追突事故が絶えなかったため、損保会社が直訴して実現した。
フロント側のバンパーは5マイル(約8km/h)、リア側は2.5マイルの速度まで衝撃に耐えられるものを装着することを決めている。灯火類と給油口、マフラーなどの安全性確保の項目も盛り込まれた。だから一般には「5マイルバンパー」と呼ばれている。
バンパーとボディフレームはショックアブソーバーで繋がれ、衝突時はショックを吸収した。バンパーの高さや強度も重要視されたので、小ぶりなバンパーを加えてダブルバンパーとした高級車も出現している。だが、ルックス重視のスーパーカーなどは頭を抱えた。




















コメント
コメントの使い方昔のバンパ-はフレ-に取り付け、ボディ前面の傷防止が主な役割
その後モノコックになり、衝撃吸収バンパ-になったがバンパ自体の修理費が20万円近くに、