まさにリアル「教場」!? 警視庁伝説の白バイ隊員が振り返る懐かしき昭和 警察学校の日々

■ああ、警察学校

 警察学校は、1年間の全寮制生活である。想像するだけで憂鬱な気分になったが、白バイ乗りになるため、いや、それ以前に警察官になるためにも、嫌でも絶対に通らなければならない道だった。

 1978年、入校当時の私は弱冠19歳。当時の警視庁警察学校は中野区(2001年からは調布市)にあり、下町の私の実家からは地下鉄で1時間以内の距離だったが、一歩、校内に入ればまったくの別世界に感じられた。

 警察学校はまず仮入校から始まる。入校初日から1週間は、体験入校みたいなもので、ここで新入りはふるいにかけられる。プライバシーのない集団生活になじめない何人かは、あっという間に辞めてしまう。辞める時は自己申告で、すぐに辞めさせてくれた。仮入校期間が過ぎ、入校式を終えると、正式に警察学校の学生になる。しかし、卒業までに何人も辞めていった。なかには脱走する者もいたし、寮内で盗みを働いて退学する者も珍しくはなかった。辞めていく者は、いつの間にかクラスメートの前からいなくなった。

 学校内では、入校した期ごとにクラス(教場という)分けされる。

 教場が一つだけしかない期もあれば、複数の教場になる期など、時期によってさまざまだった。一つの教場に学生は30名ぐらい。教官(警部補)と補佐役の助教(巡査部長)が、担任に当たる役割だ。また教場内では、学級委員長に当たる場長が一人、副委員長に当たる副場長が二人選ばれた。教官の名前が教場名となり、学校内では何かとこの教場同士の競争が繰り広げられる。

 そして生活の場となるのが、寮である。

 各部屋(居室という)は、8人部屋だった。板張りの床、カーテンの仕切りがついた二段ベッド。その脇に個人用の縦長の木製ロッカーがあった。ベッド上だけが各自のプライベート空間である。

 ちなみに寮内は禁酒だったけど、喫煙は居室外の指定場所ならOKだった。

 居室内は常に清掃し、特に床はピカピカが厳守であった。また寝具は決められたとおりのたたみ方で整理整頓せねばならず、自己流は許されなかった。どれか一つでも怠ったりしようものなら、教官様からのお叱りだ。学生たちが授業で出払っている間に見回りをし、ダメな箇所があろうものなら、居室中の寝具や下駄箱内をめちゃくちゃにしていく。しかも全員ぶんだ。警察学校名物の指導、いや、教官様方のストレス発散か。

 授業は、学科と術科(おもに教練、柔剣道、逮捕術、拳銃等)があった。術科のなかでも、特に教練は警察人生を通してずっと関わる基本動作を身につけるもので、徹底的に身体に覚え込ませるべく、年間を通じてかなりの時間が費やされていた。そのほか、たいていの警察官が大嫌いな柔剣道の訓練時間もかなりの量だった。日々筋肉痛だったという思い出ばかりだ。

 警察学校の日々は、早朝6時の「起床、起床、起床~」の一斉放送から始まる。すぐさま校庭に全学生が集合する。教場ごとに整列、点呼だ(雨天時は居室前で整列)。そして各担当箇所の清掃、朝食となる。その後の朝礼は、あったり、なかったりだった。

 授業は午前9時からスタート、昼休みをはさんで、午後は16時まで実施された。授業中は何かと大なり小なりテストがあった。

 午後の授業が終わっても、自由というわけではない。駆け足など、何かしらやらされた。夕食、入浴後ものんびりなんてしていられない。全員、教場で自習である。おもに月に1度ある漢字テストの予習や日記作成を行った。自習時間が終わると、最後にまた全学生が校庭に整列、点呼。そして23時消灯となる。

 なお、朝と夜の校庭での点呼は、休日も欠かさず行われる。とにかく行動はてきぱき、シャキッと5分前という毎日だった。

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