ハイブリッドの王者といえば、トヨタ プリウスというイメージが強い。
しかし、販売面では過去に一時的ながらホンダのインサイトが、現在はe-POWERを引っさげた日産 ノートがNo.1に輝くなど、王者プリウスを逆転。
燃費でも過去にフィットハイブリッドが日本一を達成するなど、プリウスを脅かしてきたハイブリッドの挑戦者は多い。
こうした王者プリウスとその挑戦“車”たちが日本の、いや世界のハイブリッド技術を発展させてきたと言っても過言ではない。「燃費」や「販売」といった側面だけではなく、王者プリウスとの違いを求めた各車のアプローチも実に独創的でユニークだ。
文:御堀直嗣/写真:編集部
打倒プリウス狙ったホンダ・日産のHV黎明期
ハイブリッド車(HV)は、1997年にトヨタ プリウスによって量販市販車としての幕が切って落とされた。これに呼応して、2年後の1999年にホンダ・インサイトが誕生した。
トヨタのハイブリッドシステム(THS)は、HV専用パワーユニットとして2つのモーター/発電機と動力分割機構という新たな発想の動力伝達機構を備えている。
それに対し、ホンダのIMA(インテグレーテッド・モーター・アシスト)は、世界一のエンジンメーカーらしくモーターをガソリンエンジンの補助と考え、従来通り変速機(5速MTとCVT)を使うハイブリッド方式により世界一の燃費性能を狙ってきた。
燃費の改善は、単にパワーユニットの高効率化だけでなく、車体の軽量化や、空気抵抗の少ない造形などあらゆる要素が絡み、そのすべてに挑戦したのがインサイトだった。ただし、それによって2名乗車という制約もあった。
日産からは、ティーノハイブリッドが100台限定で2000年にネット販売された。
これは、ガソリンエンジンとモーター、そしてCVTの組み合わせであり、トヨタやホンダがバッテリーにニッケル水素を使ったのに対し、日産はこの時からリチウムイオンを採用していた。10年後にそれが電気自動車(EV)リーフの発売につながる。
21世紀へ向け気候変動の抑制が不可避となった20世紀末に、日本からHVへの挑戦と、燃費向上への狼煙があがったことは記憶にとどめられるべき自動車開発史だろう。
当時、ことに欧州のドイツメーカーは、「HVは部品点数が増え、原価を高め、一時しのぎの技術でしかない」と辛辣に批判した。そして、彼らはディーゼル車を上級車種へまで広げることにより燃費向上を試みた。
ところが、その対価として欧州各地に大気汚染をもたらし、排ガス偽装まで行われ、今日の電動化へ急展開したのである。HVへのかつての発言に対する反省の弁はいまだ全くない。
「燃費世界一」でプリウス越え果たしたフィットHV
国内においては、HV開発競争がプリウスを軸に展開した。そしてプリウスは、パワーユニットの改良により着実に燃費向上を図っていった。
2代目プリウスで、昇圧によりシステム電圧を高め効率向上をはかり、それが「THS II」として今日まで継承されている。それに対しホンダは、2代目インサイトで廉価なHVという価値を打ち出した。
独創の技術による性能競争にこだわり、世界一を目指してきたホンダにしては、性能の一番ではなく普及に力を注ぐ方針転換がやや奇異に感じられなくもなかった。
しかしながら、HVを含め環境適合車は台数が普及してこそ効果を発揮するものであり、普及を目指した2代目インサイトの価値は、称えられるべき視点ではある。
だが、燃費性能で負け、使い勝手においてもプリウスに差をつけられたインサイトは、逆に販売台数を伸ばすプリウスに差を付けられ2014年に販売を終了することになった。
ただし、ホンダのハイブリッドシステムである「IMA」は、2010年にフィットにも搭載され、2013年まで販売された。
その後、同年にフルモデルチェンジをした3代目フィットで、新しいハイブリッドシステムが登場することになる。それが、i-DCD(インテリジェント‐デュアル・クラッチ・ドライブ)だ。
デュアルクラッチの変速機にモーターを組み込み、ガソリンエンジンとあわせて動力を生み出す。
IMAが、エンジンと一体のモーター配置であったのに対し、変速機側へモーターを組み込んだ点がi-DCDの独創であり、回生の際にはエンジンを停止することができ、同時に発進や加速において切れ味のよいダッシュを付けられスポーティな運転感覚を味わわせる。これをホンダは、スポーツハイブリッドと形容した。
また、発売時にはプリウスを抜いて世界一の燃費(36km/L)を達成し、のちアクアに逆転はされたものの、ホンダが再び勝負に挑んだ点でホンダファンの心を熱くするHVであった。
ところが複雑な機構であるがゆえに、リコールを出すことになる。
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