ゴーン逮捕も記憶に新しいけど……70年代には社内に「ふたりの天皇」が存在!! 日産「お家騒動」の歴史

■「ふたりの天皇」が壮絶に戦っていた

イギリスのサンダーランド工場。英国への工場進出にあたり、当時の日産社長と組合のトップが激しく対立した
イギリスのサンダーランド工場。英国への工場進出にあたり、当時の日産社長と組合のトップが激しく対立した

 それ以前の旧日産も経営の暗闘が長く続いた歴史がある。有名なのが、1970年代から1980年代にかけての日産は「ふたりの天皇」がいると言われた時代だ。ひとりは当然社長であるが、もうひとりは組合のトップだった。

 「塩路一郎」。日産労連会長として日産ばかりか系列部品企業・販売会社を含めた日産圏23万人の労働者を束ねて長く君臨したこの人は、1970年代から1980年代にかけて日産の人事権・管理権を掌握し、経営にも介入して「日産の天皇」「労働貴族」とまで言われた。

 日産がライバルのトヨタに離されていったのはこの「労使問題」に起因すると言われた。日産ではこの頃「組合一番、生産二番」で当然、生産効率は落ちることになる。

 また、日産が英国に工場進出を決める際に、当時の石原俊社長が記者会見したら、塩地日産労連会長が英国工場進出反対の会見を行ったほどで、当時の日産トップは組合のドンとの対決に大半の力を使ったほどという逸話があるのだ。

 今回のグプタ元COOの突然の退社も謎が多く、不透明。日産のこの負のパワーは、いったいどこからきているのだろうか。

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